『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第27回 キャット・アンダーソンのハイノートにキャッと驚いてみたぜ
Cat Anderson
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前回メイナード・ファーガソンについて書いた。だからというわけではないが、今回もハイノート・ヒッターの登場だ。キャット・アンダーソンである。

僕の中では、アンダーソンは“デューク・エリントン楽団になくてはならない存在”という印象があるのだが、彼がここにいたのは1944年から47年まで、そして50年から74年まで(途中、何度か退団したが、ブーメランのように戻ってきた)。約27年間、トランペット・セクションで野太いハイノートを響かせたのである。エリントン楽団は64、66、70年に来日している。日本のミュージシャンも大挙してライヴを見にいったと伝えられている。そのなかには無論トランペッターもいて、“あのハイノートはどう出しているのだろう。特製のマウスピースを使っているに違いない”とアンダーソンのプレイを必死に覗き込んだのだが、吹いているとき以外、マウスピースはずっとハンカチで覆われたままだったというエピソードもどこかで聞いたことがある。

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本名ウィリアム・アロンゾ・アンダーソン。1916年9月12日、サウスカロライナ州グリーンヴィル生まれと記載されているが詳細はわからない。なぜなら彼は孤児だったからだ。ジェンキンス孤児院がアンダーソンの住まいであり、学校だった。ここはとても自由な雰囲気のある場所で、“やりたいこと、興味のあることはなんでも学ぶことができた”

Cat on a Hot Tin Horn
Cat on a Hot Tin Horn
(アンダーソン談。マーキュリー盤『Cat on a Hot Tin Horn』のライナーノーツより)。 アンダーソンはジャボ・スミスやピーナッツ・ホランドが演奏するトランペットに夢中だった。彼らが慰問に来てからというもの、その輝かしい響きのとりこになってしまったのだ。次にルイ・アームストロングのレコードに出会った。「ラフィン・ルイ」と「べイズン・ストリート・ブルース」がとくにアンダーソン少年のお気に入りとなった。 ここで彼が聴いたルイ・アームストロングは、いわゆるRCA〜デッカ時代のレコードである。当時の新譜だったのだろう。この時期のルイは、残念ながら1920年代のオーケー時代(いわゆるホット・セヴン、ホット・ファイヴ・イーラ)のような高い評価を得るに至っていない。エンタテインメント性過剰、ハイノートの乱発、安易な編曲などがウィーク・ポイントとして、しばしば評論家に指摘された。 だがここでウィリアム・アロンゾ・アンダーソン少年が、ユーモアバリバリでハイノートを吹き鳴らしたルイに感銘を受けていなかったら、後のキャット・アンダーソンは誕生していなかった。彼はルイのRCA〜デッカ盤を聴いて“トランペットはこう吹くもの、こう音を出すもの”と思い込んだに違いない。少年時代から、アンダーソンはハイノート・キングへの道を歩む運命にあったようである。

彼がトランペッターとして本格的に活動し始めるのは1930年代半ばだ。カロライナ・コットン・ピッカーズに3年間、サンセット・ロイヤル・オーケストラに4年間。グレン・ミラー楽団のずっと前から「タキシード・ジャンクション」を演奏したアースキン・ホーキンス(彼もハイノート・ヒッターだ)楽団、ライオネル・ハンプトン楽団、ラッキー・ミリンダー楽団など、ハーレムのブラック・スイング系の大物ビッグバンドでも演奏した。そして44年から47年まで、この若手トランペッターはデューク・エリントン楽団で活動する。当時、アンダーソンは1日2時間半、トランペットを練習していたという。2時間半って少ないんじゃないのか、という前に考えてみてほしい。当時のビッグ・バンド興業はワン・ナイト・スタンドが圧倒的に多かった。深夜に演奏を終えて、そのままバンド・メンバーいちどうバスに乗って明け方に移動先のホテルに到着し、午後からリハーサル&サウンド・チェック、夜にライヴ、そしてまた演奏終了後はバス移動、という生活のなかで、2時間半の練習時間がよくとれたものだ、と僕は驚くばかりである。

デューク・エリントン・プレゼンツ
デューク・エリントン・プレゼンツ
次にアンダーソンがエリントン楽団に戻ってくるのは1950年のことだった。彼の復帰でトランペット・セクションは俄然、輝きを増した。基本的にリード・トランペッターという扱いではあったが、「エル・ガート」(スペイン語でオス猫という意味)等のフィーチャリング・ナンバーも用意された。アンダーソンがプレイする同曲を聴くなら、エリントン楽団の『ジャズ・アット・ザ・プラザvol.2』(58年の録音)がいい。ライヴということもあってか、豪華絢爛、まるで絶唱するようなハイノートが聴ける。スタンダード曲ではベツレヘム盤『デューク・エリントン・プレゼンツ』に入っている「サマータイム」だろうか。また、77年にベニー・カーター・オールスターズの一員として来日したときのライヴ録音『アライヴ・アンド・ウェル・イン・ジャパン』も心あたたまる1枚だ。「ルイ・アームストロングに捧げるメドレー」では、カーター(彼はオーネット・コールマンの30年も前からアルト・サックスとトランペットを吹いた元祖である)、ジョー・ニューマン、そしてアンダーソンがそれぞれの解釈でルイゆかりの名曲に挑んでいる。力強いハイノートにはまったく衰えが感じられない。アンダーソンはこの4年後の81年4月29日、カリフォルニア州ノーウォークで亡くなった。それはまた、74年に亡くなったデューク・エリントンの82回目の誕生日でもあった。

アンダーソンのリーダー作は決して多くない。そこから、個人的にお勧めしたいものを3点、挙げさせていただく。厳格なジャズというよりはジャンプ・ミュージック系の演奏が主なので、幅広いブラック・ミュージック好きに楽しんでもらえると思う。

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●Earl Hines & The Duke’s Men(Delmark) 40年代のブラック・ミュージックを事細かに記録したアポロ・レコードから発表されたSP盤音源をまとめたCD。アール・ハインズの名前が大きく出ているのは単にセールス上の配慮と思われる。ハインズが登場するのは6曲。しかしバックにはレイ・ナンス、ジョニー・ホッジス、オスカー・ペティフォード、ベティ・ロシェの名もあるので、アルバム・タイトル自体は間違っていない。ほかはソニー・グリア(5曲)、アンダーソン(4曲)のリーダー・セッションだ。「キャッツ・ブギ」でのトランペット・ホンカーぶり、「フォー・ジャンパーズ・オンリー」の粘っこさ。まさに芸能・大衆の匂いを感じさせるパフォーマンスだ。
●Cat on a Hot Tin Horn(Mercury) アーニー・ロイヤル、レイ・コープランド、クラーク・テリー、ルノー・ジョーンズで構成されたトランペット・セクションをバックに、アンダーソンが痛快にブロウする。なにしろ5オクターヴを楽々と吹くという技量の持ち主だけに、低音も中音域も艶っぽい。9曲中5曲がアンダーソン自身のオリジナル。まさしくジャンプ・ミュージックである。ドラムスはブラック・スイングの至宝、パナマ・フランシス。「ナイト・トレイン」で一世を風靡したテナー・サックス奏者ジミー・フォレストも入魂のブロウを聴かせる。編曲はのちにジャズ・ファンク界でも名を馳せるアーニー・ウィルキンスが担当。58年録音。
●Ellingtonia(Wynne) 8人編成によるアルバム。タイトルが示すとおり、レイ・ナンス、クエンティン・ジャクソン、サム・ウッドヤード等エリントニアンとの吹き込みだ。ピアノはリロイ・ラヴェット(一時期、エリントン楽団を離れていたジョニー・ホッジスが結成していたバンドに参加していた)が弾いている。エリントン、ビリー・ストレイホーン曲が殆どだが、そのエリントン曲が「メキシカン・バンディット」、「ラヴリネッセンス」、「ビトウィーン・サム・プレイス、ゴーイン・ノー・プレイス」、「ライク・ディグ」と、マニアックなことこのうえなし。レイ・ナンスがトランペット(コルネット)を吹かず、ヴァイオリンに専念しているのはアンダーソンへの敬意からか。59年録音。
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1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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