ジョー・ザヴィヌル
ジョー・ザヴィヌルが亡くなった。「ヤバイかもしれない」という話は8月ごろから海外の音楽ジャーナリスト間には伝わっていたようだが、それにしても死ぬことはなかったのに。
まさしく急逝、現役バリバリのアーティストが前進の途中で旅立ったという感じがする。
もちろん僕にはマックス・ローチの死もショックだった。だがローチの場合、もう現役を退いて久しかった。7,8年前に出たクラーク・テリーとの共演盤が遺作ではないかと思うが、その作品でのプレイと来たら、忌憚なくいえば耳をふさぎたくなるほどであった。今を生きている音楽家の音ではなかった。「あなたが残した数々の歴史的演奏を決して忘れません。どうぞ安らかに」というのが僕のローチに対する正直な気持ちである。
だがザヴィヌルはまだまだ我々の知らない風景にいざなってくれたにちがいない。彼の頭脳は未来へのプランでいっぱいだったのではないか。
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ア・メッセージ・フロム・バードランド
1959年、ザヴィヌルはニューヨークの土を踏んだ。さっそく当時アメリカ・ジャズ界で1,2の人気を誇っていたメイナード・ファーガソンのオーケストラに抜擢された。6月17日にジャズ・クラブ「バードランド」で収録されたアルバム『ア・メッセージ・フロム・バードランド』の裏解説でレナード・フェザーは、こう書いている。
“このオーケストラに数ヶ月間前から参加しているジョー・ザヴィヌルは、母国オーストリアから到着したばかりである。前任ピアニストのボブ・ドーガンが徴兵されてしまったので、この若きウィーン出身者が後任を務めることになったのだ”。
ザヴィヌルのプレイはそこかしこにフィーチャーされている。冒頭の「オレオ」でいきなりガンガン弾きまくり、ベニー・ゴルソンが作編曲した「ナイト・ライフ」では、やや録音がオフ気味ではあるものの、マイナー調の粘っこいフレーズでクライマックスを作る。ちなみにこの「ナイト・ライフ」、またの名を「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」という。ニューヨーク・ダウンタウンにあるジャズ・クラブ「ファイヴ・スポット」に因んでゴルソンが書いた曲(カーティス・フラーのアルバム『ブルースエット』の冒頭に収められ、日本でやたら人気が高い)だが、それをそのタイトルのまま「バードランド」でプレイすることは吉野家に松屋の牛丼を持ち込んで喰うのと同じくらいの暴挙、「バードランド」の経営陣にはマフィアもいるらしいし、さすがにヤバかろうと、ファーガソン(もしくはゴルソン)は判断し、改題したのだろう。
このアルバムだけを聴くとファーガソンは若きザヴィヌルの才能を認め、それなりに活躍の機会を与えているように思う。だがザヴィヌルは短期間でオーケストラを退団し、ダイナ・ワシントンの伴奏ピアニストとなる(彼女最大のヒット曲「縁は異なもの」のピアニストはザヴィヌルであるという)。同じ頃、ファーガソン楽団はもうひとり、“未来の逸材”を放出している。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに引っ張られたウェイン・ショーターだ。前述『ア・メッセージ・フロム・バードランド』に、まだショーターは参加していないが、後年マイルス・デイヴィスのレコーディングやウェザー・リポートで協力体制をとっていく2人はもうこの時点で、ファーガソンを軸として結びついていたのである。
メイナード・ファーガソン
メイナード・ファーガソン。個人的にはデイヴ・ブルーベックと同じくらい厄介な存在だ。米国での、あの人気に共感できない。ブルーベックはカリフォルニア生まれ、クラシック音楽に出会う前はカウボーイに憧れていたという男である。クラシック+フォーキー+ヤンキー気質が大多数のコーカサス系米国人の心を掴んだのか。だがファーガソンはカナダ出身である。1949年、21歳のときに渡米し、スタン・ケントン楽団に在籍した。
彼がリードしていた時期、ケントン・オーケストラのトランペット・セクションは“最優秀フルバン響き渡り大賞”をあげたいほど天下一品のスケールを誇っていた。どのビッグ・バンドのリーダーも“うちの楽団にファーガソン級のハイ・ノート・ヒッターがいれば”と思ったであろう。ハイノートはもちろんファーガソンの専売特許ではない。巨岩デューク・エリントン楽団にはキャット・アンダーソンという凄腕もいた。だが彼のプレイはあくまでも“トランペットの高い音”。それに歌心があった。だから僕は好きなのだが(猫ジャケのアルバムもあるし)、ファーガソンのハイノートはもはやトランペットのそれを越えた超音波である。好戦的なアメリカのファンは特殊技能をあがめたてるような気持ちでファーガソンの高周波に喝采を送っていたのか。だが、僕は彼の単独プレイに心を動かされたことは一度もない。クリフォード・ブラウン、クラーク・テリーと3トランペットで録音したライヴもあるが(エマーシー盤『ジャム・セッション』、『ダイナ・ジャムズ』)、たどたどしいアドリブを馬力と高音で押しまくるファーガソンは完全なミス・キャストに思えた。
しかし僕はファーガソンのアルバムに注目してしまう。それは必ずといっていいほど凄いメンバーやアレンジャーが揃っているからだ。手元にある50〜60年代の数作品から主要人物を抜き出しておく。70年代以降、いわゆる“MFホーン”シリーズで当ててからのものについては、いずれ触れる。
トランペット:ドン・エリス、ビル・チェイス
トロンボーン:ドン・セベスキー、スライド・ハンプトン
サックス:アンソニー・オルテガ、カーメン・レギオ、ジョー・ファレル、ディック・スペンサー、ルー・タバキン、フランク・ヴィカリ
ピアノ:ボビー・ティモンズ、ジョー・ザヴィヌル、ジャキ・バイアード、マイク・アベネ
ベース:リチャード・エヴァンス
ドラムス:フランキー・ダンロップ、ルーファス・ジョーンズ
ヴォーカル:アイリーン・クラール
なんなんだ、この豪華さは、といいたくなるではないか。ブラス・ロック・バンド“チェイス”で一世を風靡したビル・チェイスに、秋吉敏子オーケストラでの活躍で日本のファンにはおなじみとなったスペンサーにタバキン、チャールズ・ミンガス・バンド参加前のファレルとバイアード、近年では上原ひろみのデビューに力を貸したリチャード・エヴァンス、“ジャッキー&ロイ”のロイ・クラールの妹であるアイリーン、60年代後半に圧倒的なビッグ・バンドを結成するドン・エリス、CTIサウンドをつくりあげた名アレンジャーのドン・セベスキーなどがファーガソン楽団を振り出しに音楽シーンの一角に食い込んでいったのだから本当にびっくりだ。ボビー・ティモンズも「モーニン」以前はファーガソンのところで端正なピアノを弾いていた。
ああ、これで耳をつんざく超高音がもう少し控えめであったなら、と思うのだが、CDに閉じ込められたファーガソンはサービス精神いっぱいに、ハイノートの特盛を聴かせてくれるのだった。
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