『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第9回 山椒は小粒でピリリと辛い、ピアニストのジョン・ウィリアムスを紹介するぜ |
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どこの分野にも印象的な名前の持ち主がいる。武者小路実篤、長宗我部元親あたりはもう、字面で“勝っている”、そんな気がする。何に勝ってるかはわからないが。詳細は不明なれど、とにかくすごそうだ、と思わせる力があるじゃないか。海外では愛新覚羅溥儀、エンゲルベルト・フンパーディンク、ニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセンなどに、僕は同様の印象を持つ。 ![]() JOHN TOWNER WILLIAMS / WORLD ON A STRING 彼は50年代、ジャズ・ピアニストとして活動していた。ベツレヘムやキャップにリーダー・アルバムがある。しかし当時の芸名はジョン・タウナー・ウィリアムス。“タウナー”がとれたのは、ジャズ界から離れてからのことである。逆に言えば彼は、ジャズ界で活躍していた頃はわざわざ“タウナー”というミドルネーム込みで名乗る必要に迫られていた、ということだ。 ![]() ZOOT SIMS / ZOOT ゲッツの『モア・ウエスト・コースト・ジャズ』(ヴァーヴ)、『スタン・ゲッツ‘57』(同)、ズートの『モダン・アート・オブ・ジャズVol・1』(ドーン)、『ズート』(アーゴ)などで、乗りに乗ったプレイを聴くことができる。アーゴ盤以外の3枚にはボブ・ブルックマイヤーのヴァルヴ・トロンボーンも加わっているのだが、彼もウィリアムスのピアノに一目置いていたひとりだった。 モゴモゴ、モコモコと、ブルックマイヤーの奏でるヴァルヴ・トロンボーンの音色は、決して歯切れよいとはいえない。ヴァルヴがついているのだからスライド・トロンボーンより、よほど正確な音程が出るはずなのに、なんとなくピッチがズレているようにも感じられる。なんとも垢抜けないスタイルだ。なのにゲッツやズート、ジェリー・マリガン、アル・コーンなどは好んでブルックマイヤーを起用した。これはほんとうに謎だ。鈍重なヴァルヴ・トロンボーンを入れることによって、自分の流線型のサックスを際立たせたかったのだろうか。たしかにブルックマイヤーはアレンジャーとしても知られているが、じゃあゲッツ、ズート、マリガン、コーンがそれをフルに活用したかというと、どうも疑わしい。大してアレンジに凝らない、ブローイング・セッション的なもののほうが多いように思うのだが。 ![]() JOHN THOMAS WILLIAMS / THE JOHN WILLIAMS TRIO COMPLETE MASTER TAKES . 1954-1955 ハンク・ジョーンズの優美さと、ホレス・シルヴァーの明晰さをあわせもったようなプレイは、エマーシーに残したリーダー作(現在はフレッシュ・サウンド盤CD『The John Williams Trio Complete Master Takes 1954-1955』が入手しやすい)でも味わうことができる。 ジョン・ウィリアムスはヴァーモント州Windsorに生まれた。4歳から教会でオルガンを弾き、陸軍バンドではバリトン・ホーンを吹いた(このあたりもブルックマイヤーと共通している)。45年にマル・ハレット(ほとんど知られていないが、たまにスイング関係の文献に出てくる)楽団に入ったのが最初期の特筆すべきキャリアだ。ここではトランペットのドン・ファガーキスト(フェジャクウィストと読むのかもしれない)やテナー・サックスのバディ・ワイズと一緒だった。ワイズはジーン・クルーパの“ビ・バップ”オーケストラでもフィーチャーされたプレイヤー。若くして亡くなったので録音は非常に少ないが、ワーデル・グレイ、アレン・イーガー、ハービー・スチュワードあたりが好きなひとにはたまらない味を持ったプレイヤーだと思う。もっとも入手しやすいワイズのプレイは、OJCからCD化された『ジャズ・イン・ハリウッド・シリーズ〜ヴァージル・ゴンザルヴェス・セクステット』だろう。しかしワイズに西海岸の水は合わなかったのか、NY録音に比べるといまいちピントが絞りきれていない気が、個人的にはする。 ![]() CANNONBALL ADDERLEY / JULIAN CANNONBALL ADDERLEY 55年に衝撃のデビューを飾ったキャノンボール・アダレイの『キャノンボール』、ジミー・クリーヴランドの『オールスターズ』などがとくに代表的な仕事だろう。この2作のアレンジャーは若き日のクインシー・ジョーンズ。クインシーもまた、ウィリアムスに信頼をおいていたわけだ。 そしてもうひとつ、いまさらとは思うが付け加えておきたいことがある。先に触れたようにウィリアムスは1954年から55年にかけてエマーシーにピアノ・トリオでリーダー録音をおこなったわけだが、この時代、この編成で自己名義の作品が出せるなんて奇跡にも近いことだった(ブルーノートのような当時の超マイナー・レーベルには、ウィントン・ケリーやケニー・ドリューのトリオ・アルバムがあったが)。エロール・ガーナー級になってやっと実現するような、ピアノ・トリオによるリーダー・アルバム。それをこの時代にウィリアムスは、わずか25歳の若さでやりとげてしまったのである。 60年代にビル・エヴァンスが取り上げて知られるようになった「スリーピング・ビー」の史上初めてのジャズ・ヴァージョンを録音したのもウィリアムスである。ビッグ・バンド向けの曲「マンテカ」をピアノ・トリオ用につくりかえてしまったのもウィリアムスである。「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」だって、デイヴ・ブルーベックより、エヴァンスより、マイルス・デイヴィスより先にやっている。モードじゃなくて、きっちりコードに沿って、スインギーに。 60年代以降のウィリアムスの歩みについては、上不三雄氏のマシュマロ・レコードから出ている『ウェルカム・バック』のライナーノーツをごらんいただきたい。もちろん内容も素晴らしい。40年ぶりのリーダー録音とのことだが、こういう年の取り方も、かっこいいものだ。 |
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群馬まで行ってきた。さびれた温泉宿。狭い通りを歩くとボロボロのスマートボール屋や、外国人専門のストリップ小屋がある(行かなかったが)。露天風呂がよかった。夜は明かりひとつ、そこに湯面からわきあがる湯気が反射し、このうえなくエキゾチックだった。朝風呂も実に気持ちよかった。雪の残る禿山を見ながら、ボーッとしながら長風呂につかってきた。ソバは、芋を多量に混ぜるのが特徴なのか、なんだかやたらイモッぽかった。
原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |