『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第8回 モンスター・トランペッター=アヴィシャイ・コーエンの巨大な渦に巻き込まれてきたぜ

去年、「アメリカ横断ウルトラクイズ」と約25年ぶりに再会した。テレビマンユニオンという番組制作会社の特集が渋谷の映画館で催され、そこで1981年に放送されたヴァージョンが上映されたのだ。いやー懐かしかった。「自由の女神はサンダルを履いている。マルかバツかー」。

昭和40年代生まれの日本人にとって、ニューヨークは「ウルトラクイズの決戦地」である。後楽園球場のマルバツクイズをクリアーし、空港でじゃんけんに勝ち、機内クイズ攻めやハワイの早朝クイズや泥んこマルバツクイズをくぐりぬけ、アルバカーキやツーソンやダラスやシンシナーティに到達した末、二人の回答者がパナムビルの屋上にたどりつく。僕は地方都市のガキだったから、ニューヨーク行きの直行便があるなんて東京に来るまで知らなかった。地図を見るとアメリカの右端にあるから、いろんなところで降りて乗り換えるんだろうな、そしてその待機時間を使ってクイズしているんだろうなと思ったものだ。ああ、田舎の小学生なんてこんなものです。

パナムビルは名前が変わってしまったし、81年当時に存在していたジャズ・クラブで現在も残っているのは「ヴィレッジ・ヴァンガード」ぐらいだろう。「ブルーノート」はまだなかった。「ファット・チューズデイズ」、「ラッシュ・ライフ」、「セヴンス・アヴェニュー・サウス」あたりが熱心なジャズ・ファンを集めていたはずだが、今じゃ影も形も残っちゃいない。だがマンハッタンは輝き続ける。NY行きの飛行機が離陸すると、僕の心の中で、脂っこく日焼けした若き福留アナウンサー(当時は日本テレビに勤めていた)が叫ぶ。「ニューヨークに行きたいかー」!


ラーゲ・ルンド・クインテット
ラーゲ・ルンド・クインテット

ニューアーク空港から宿に到着して、部屋に入るともう夜の6時半だ。急がなければ。7時からトライベッカ・パフォーミング・アーツ・センター(199 Chambers Street)でラーゲ・ルンドのライヴがあるのだ。ルンドは05年度の「セロニアス・モンク・ジャズ・コンペティション」(ギター部門)で首位に選ばれた北欧出身のギタリスト。“話題の新人”をチェックするのにNYほどふさわしい場所はない。さいきん国内盤を出したアルト・サックスのフランチェスコ・カフィーゾも僕は3年前、「イリディアム」で見ている。ジャッキー・マクリーンの前座で、マクリーンのように「ホワッツ・ニュー」を吹いていた。それはさておき、ルンドシーマス・ブレイク(テナー・サックス)、ジョナサン・ブレイク(ドラムス)、エリック・リーヴス(ベース、レビスとはいわない)などをバックに、数多くのオリジナル曲を聴かせた。ミディアム・テンポ以上はクロマティックに、バラードは瞑想的に、とはっきり色分けされており、さすがに何曲も自作を連発されると、ちと違う空気が吸いたくなった。そのとき、絶妙なタイミングでデューク・ピアソン作「ガスライト」が演奏された。ピアソンルンドのフェイバリット・コンポーザーらしい。今現在、ルンドのプレイが聴けるCDはジャリール・ショウ(アルト・サックス)のフレッシュ・サウンド・ニュー・タレント盤ぐらいなものだが、日本のレコード会社を含むいくつかのレーベルがルンドのリーダー作に食指を動かしているともきく。

このパフォーミング・アーツ・センターは大学(?)の構内にあり、学食は午後9時ごろまで開いている。別のホールでは週末だけ、「モスコー・キャッツ・シアター」という猫のサーカスが開催されていた。僕もよほど行こうと思ったが、パンフレットやウェブサイトを見ると、なめ猫的というか、猫にこんな不自然なポーズをさせるのは猫がかわいそうではないかと思うようなところもあり、やめた。猫は暖かい日に丸くなったり、自分の体をぺろぺろしたり、腹を見せて転がっているところがいいのである。ただ新聞では「(ミュージカルの)キャッツなんて目じゃない。だって本当の猫が出るんだから」とか「これはSpectacularならぬSpeCATcularだ!」などと絶賛されたようだ。

アヴィシャイ・コーエン・グループ
アヴィシャイ・コーエン・グループ
トランペッターのアヴィシャイ・コーエンも相変わらず最高だった。この年末年始、彼は「ファット・キャット」(75 Christopher Street   at 7th Ave. South)でレギュラーのギグを繰り広げていたのだ。初めてアヴィシャイを見たのはフレッシュ・サウンド・ニュー・タレントから『ザ・トランペット・プレイヤー』を出したばかりの頃だった。そのときはヒゲも髪も伸び放題で、全身が毛だった印象があるのだが、現在のアヴィシャイはヒゲもなく、髪も整えられ、端正なルックスが一層きわだっている。メンバーはヨスバニ・テリー・カブレラ(アルト・サックス)、リオーネル・ルエーケ(ギター)、バラク・モリ(ベース)、エリック・マクフィアスン(ドラムス)など。イスラエル、キューバ、アフリカ、アジアの血を引く者が一同に介し、猛烈にグルーヴしていく。とはいってもヨスバニルエーケのソロは比較的短く、時間がたつほど白熱していくアヴィシャイのトランペットにアンサンブルをつけるほうが多かった。それにしてもアヴィシャイ。マイク無しで1曲につき15分から20分も吹きまくるのだから、そのモンスターぶり、肝の据わった男気にあらためて唖然とする。自分がアヴィシャイの渦に巻き込まれていくのがわかる。太く豊かな音色。ラッパひとつですべてを仕切ってしまうようなフレージング。70年代のハンニバル・マ−ヴィン・ピーターソンに匹敵するヘヴィー級トランペッターがいま、存在しているというころがたまらなくうれしい。ディジー・ガレスピー作「マンテカ」も最高だった。ジョン・コルトレーンがトランペット奏者に生まれ変わって「マンテカ」を吹いたら、きっとこんな演奏になるのではないだろうか。
ディジー・ガレスピー・オーディトリアム
ディジー・ガレスピー・
オーディトリアム
ディジー・ガレスピーといえば、彼にちなんだジャズ・スポットは現在NYにふたつある。ひとつは日本でも知られる60丁目とブロードウェイあたり、「タイム・ワーナー・ビル」にある高級な「ディジーズ・クラブ・コカ・コーラ」。こぎれいでおしゃれで、ガラス張りで夜景も見えて、一流シェフの料理と共にスタンダード・ジャズが味わえて、だけど値段も相当な場所だ。もうひとつは「NYCバハーイ・センター」(53 East 11th Street)。バハーイとはガレスピーが信仰していた宗教のことで、この施設の一角“ジョン・バークス・ガレスピー(ガレスピーの本名)・オーディトリアム”がジャズ演奏にあてられている。
パンアメリカーナ
パンアメリカーナ
客席は100ほどだろうか。いくつかの椅子は壊れ、スプリングが飛び出している。 僕が見たとき、ここに出演していたのはゲイリー・モーガン(コロンビア出身)編曲指揮のパンアメリカーナというオーケストラ。フルートやバス・クラリネットを多用したサウンドで、ルイス・ゴンザーガの曲などをやっていた。基本的にアレンジが演奏のかなりのパーセンテージを占めており、ソロはあまりない。キーボードのダニエル・ケリーが際立ったぐらいか。このダニエル、5年前にハーヴィー・S(ハーヴィー・シュワルツ)のバンドを「55バー」で見たときも、ラテン系の曲(たしか「テキサス・ルンバ」だった)で乗りまくっていたっけ。

トニー・マラビー
トニー・マラビー
アヴィシャイと並んで、NYに行くと僕が必ず聴きたくなるアーティストのひとりがトニー・マラビーだ。今回はマラビーと、夫人のアンジェリカ・サンチェス(エレクトリック・ピアノ)、トム・レイニー(ドラムス)との組みあわせをブルックリンの「バーベス」(376 9th St. Park Slope, Brooklyn)で味わった。このトリオは先日『アライヴ・イン・ブルックリンvol.2』を自主レーベルから出したばかりだ。基本的には完全即興なのだが、レイニーが8ビートを打ち出し、マラビーがホンカーのようにブロウする瞬間もあった。マラビーの音色のコントロールにはいつも驚嘆してしまう。ソプラノ・サックスを吹くところもあったが、彼のソプラノってこんなに艶っぽかったっけ、と認識を新たにさせられた。サンチェスは楽器の音色の伸びなさを逆に利用したような、打楽器的なプレイでマラビーにくらいつく。アルバムでは抽象的な印象も強かったけれど(とくに『vol.1』は)、この日の演奏は聴いていてからだが動き出すほど躍動的であった。


話題の「ストーン」(the corner of Avenue C and 2nd street)にも行ってきた。12月は日本月間で、大友良英巻上公一吉田達也も週ごとにフィーチャーされていたが、僕が聴いたのは灰野敬二(ギター)、ビル・ラズウェル(ベース)、ラシッド・アリ(ドラムス)の“パープル・トラップ”。「ストーン」には飲み物も食い物もない。冷暖房もない。しかも僕が行った日は雪が降っていた。だが店内は満員。ひとの熱気で、驚くほど暖かい。僕は灰野の、特にヴォーカルが好きで『哀愁謡』とか、マジカル・パワー・マコの1枚目に入っている「束縛の自由」なんて最高だと思うが、この日は歌なし、ギターのみ。とはいえジャンゴ・ラインハルトを思わせるメランコリックなプレイはやはり素晴らしく、日本人として誇らしくなった。1曲目が終わると、「ベースがよく聴こえないぞー」との声。誰かと思ったら、バワリーにあるレコード店「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー」の名物オヤジではないか。

「ストーン」から急いで「トニック」(107 Norfolk St. , Delancey / Rivington Sts.)に行く。ジョン・ゾーン(アルト・サックス)、アート・リンゼイ(ギター、ヴォーカル)、アントン・フィアー(ドラムス)のセッションがあるからだ。なんとか立つ位置を確保したら、前のほうにすでに「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー」の名物オヤジが陣取っている。忍者のようなオヤジだ。演奏は2分程度のものをたてつづけに15、6回やったという感じだろうか。アートのノイズ・ギター、フニャフニャ・ヴォーカルは冴えに冴えていたが、個人的には全体的に邪悪さが足りない気がした。

デヴィッド・ニューマン
デヴィッド・ニューマン
3日間の滞在の最後に見たのは、デヴィッド・ニューマンだ。場合によってはノー・チャージ(つまり飲み物代+チップだけ払えばいい)のときもある「スモーク」(2751 Broadway, 105th / 106th)だが、バリー・ハリスベニー・ゴルソン、そしてこのニューマンなど大ベテランが出る場合は飲み物込みで40〜50ドルとられる。だが3セット入れ替えなしで巨匠の味わいに浸れるのだから、やっぱりこれはぜいたくだ。ニューマンはテナー・サックス、アルト・サックス、フルートを吹いた。バックはピーター・バーンステイン(ギター)、マイク・レドーン(オルガン)、ジョー・ファーンズワース(ドラムス)。つまりエリック・アレキサンダーのバンドからエリックが抜けてニューマンが入ったとも解釈できるのだが、とにかく予想以上にニューマンは元気で、ブロウも冴えていた。往年のボスであるレイ・チャールズの曲を交えながら、とことんブルージーに、こってりと演奏する。ニューマンがソロを終えるごとに、シンと静まった満員のオーディエンスが湧きかえり、熱狂的な拍手と歓声が巻き起こった。

1970年北海道生まれ。温泉宿に行ってきた。小林多喜二が潜伏して、「オルグ」を書いたといわれる場所だ。冬の寒い時期、しかも山奥ということもあって、客がぜんぜんいない。ほぼ貸切状態でフロや食事を楽しんだ。露天風呂ではタップリ泳いだ。エボダイ、何年ぶりに食べただろう。「コルトレーンを聴け!」(ロコモーションパブリッシング)、おかげさまで大変な好評をいただいております。ぜひお買い求めのほどを。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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