『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第7回 ミンガス・サウンドは時代を超えて訴えてくるぜ
tonight at noon
tonight at noon

新年、チャールズ・ミンガスが僕の“初ジャズ”だった。『直立猿人』、『道化師』、『トゥナイト・アット・ヌーン』、『ブルース&ルーツ』、『オー・ヤー』などアトランティック時代の作品をまとめたボックス・セットをガンガンかけて、乾布摩擦をしながら、2006年に立ち向かうための気合を入れていたのだ。05年末におこなわれたミンガス・ビッグ・バンドの公演も、「チャールズ・ミンガスがいない」という事実にこだわらなければ楽しいライヴだったし、なんとなくミンガス・ミュージックを多量に摂取したい風向きなのである。僕の敬愛するドラム・ゴッド=ポール・モチアンの最新作『ガーデン・オブ・エデン』でもミンガス・ナンバーが2曲とりあげられている。「直立猿人」、「グッドバイ・ポークパイ・ハット」とベタな選曲ではあるが、実にモチアン風に解釈されていて、唸ってしまった。トニー・マラビーも相変わらずすごいプレイだ。いったいどこまでマラビーはスケールを増していくのだろう。とはいえまだミンガス・ブームというところまで音楽界のミンガスに対する認識が再燃しているとは思えない。だが、うれしいことだ。骨の髄までディープな、これぞ人間の美というべきミンガスの音楽はもっと聴かれるべきである。

complete savoy and perdido master takes
complete savoy and period master takes
ミンガスが亡くなったのは1979年1月のことだ。僕はそれを「コモ」というジャズ喫茶のマスターからきいた。僕がミンガス好きで、よくリクエストすることを覚えていてくれたのだ。当時の最新作は『クンビア&ジャズ・フュージョン』だったが、個人的には『道化師』が好きだった。といっても店では英語の解説が入るB面はかからず、A面ばかりがかかっていたような気がしたが。このA面、いまにして思えば1曲目の「ハイチアン・ファイト・ソング」がマイナー・ブルース、つづく「ブルー・シー」がFメジャーかなんかのブルースで、本当に今にして思えばこの当時から既に原田和典のブルース好きは潜在化していたわけだ。70年代後半の北海道旭川市には、いくつかジャズ喫茶があった(そのまたいくつかの店は小型スピーカーを入り口に出し、強烈なサウンドを垂れ流していた。客寄せにつながったかどうかは知らない)。思いつくままにあげてみると、「志乃」という小汚い店がまず、あった。池波志乃との関係はわからない。客席の床にまでレコードがはみだしていた。僕はここでチャーリー・ヘイデンの『クロースネス』を初めて聴いた。子供ごころに、美しい音楽だと思ったものだ。天にものぼるような気持ちにさせてくれたアルト・サックス奏者がオーネット・コールマンであることを、僕は後で知る。あともうひとつ、僕の幼稚園の先生の彼氏がやっていた「ドルフィー」という店もあった。

great concert of charles mingus
great concert of charles mingus
店名が示すとおり、エリック・ドルフィーチャールズ・ミンガスバド・パウエルなど、本物の中の本物しかかけなかった。そのせいかいつもガラガラで、たいていの場合は、僕と父と、幼稚園の先生とその彼氏の4人であった。よく経営が成り立っていたと思う(すぐつぶれたが)。チャーリー・パーカーサヴォイ・セッションのクライマックスをなす「アナザー・ヘアー・ドゥ」、「ブルーバード」、「クラウンスタンス」、「バード・ゲッツ・ザ・ワーム」を僕は初めてここで聴き、今もトラウマになっている。金星橋という、コズミックな名前の橋のたもとには「メキシコ」というジャズ喫茶もあった。ソニー・スティットジョニー・グリフィンを旭川に呼んだ店だ。ここでもいろいろ聴きあさった。旭橋のそばには「グルーヴィー」という店があった。ここでリー・モーガン『キャンディ』を初めて聴いた。「CTA」冒頭、アート・テイラーの“ワン、トゥ、ワントゥスリフォー”というカウントが入っていてすごくかっこいいと思ったのだが、CD化されたとき、このカウントが削除されてしまったプレスも存在しているらしい。
legendari trios
legendary trios
学校の規則では喫茶店に行くことは禁じられていたが、もしそのとき僕が指図に従いジャズ喫茶を知らずにいたら、果たしていま、こうして社会に存在することができたかどうか。そういった意味では、ジャズ喫茶という空間は、そしてジャズという音楽そのものは、とてつもなく大きなものを僕に教えてくれた。「音楽」を「ひとのみち」を「教育」してくれた。ジャズ喫茶に行った翌日、学校にいくと、本当にがっくりさせられたものだ。音楽室にベートーベンの肖像画をガビョーで貼り付けて、「翼をください」を歌わせる。♪この大空に飛んでいきたいよ〜。勝手に飛べ。それが音楽教育か? だとしたら俺はそこを出る。入る。


live at montreux 1975
live at montreux 1975

怒りの小金治、じゃなかった、怒りのミンガスだと言うひとがいる。だが僕がそれを知ったのはずっとずっと後、ミンガスについて書かれた本や雑誌を読むようになってからだ。それまでは、ただひたすら力強く、ガンガン迫ってくる音だと思った(今もそう思う)。当時、僕は金曜8時、新日本プロレスにも夢中だったから、どこかにプロレスに近いものを感じていたのかもしれない。ストロング・スタイル、序破急の鮮やかな音楽。とにかく僕はミンガスの音が好きなのだ。曲展開にほれ込んでいるのだ。もちろんミンガスはもういない。だが曲を演奏するバンドはある。コンボ編成のミンガス・ダイナスティ、そして大編成のミンガス・オーケストラミンガス・ビッグバンドだ。最後の2つはまぎらわしいかもしれないが、オーケストラのほうはギター、ウッドウィンド(フルート、バスーンなど)も加えた編成で平均年齢は高め。サイ・ジョンソンなど、生前のミンガスと交流のあったひとのアレンジを中心に使っている。いっぽうビッグ・バンドは、若手メンバー中心で、編成はいわゆるジャズ・ビッグ・バンドのそれにならう。ミンガス本人の譜面を使うことや、ミンガスが遺したレコードから採譜することをせず、すべてこのビッグ・バンドのためにメンバーが新たにアレンジし直している。僕はこの3バンドの仕切り役であるスー・ミンガス未亡人に、なぜチャールズ・ミンガスの遺した譜面を使わないのか?とたずねた。そうしたら彼女はこう言った。「チャールズの譜面はほとんど小編成用のものなので、新たに大編成用の譜面が必要なのだ」と。

mingus in greenwich village
mingus in greenwich village
そうだろうか。『黒い聖者と罪ある女』は? 『ミンガス、ミンガス、ミンガス、ミンガス、ミンガス』は? 『プリ・バード』は? 『レット・マイ・チルドレン・ヒア・ミュージック』は? あれほどの労作スコアはいま、どうなっているのだろうか。すごく気がかりだった。
とはいえ昨年末におこなわれたミンガス・ビッグバンドの公演は前述したように楽しめるものではあった。ミンガスの曲をやるのだから当たり前だ。それにメンバーの質は高い。ニューヨークきっての凄腕が揃う、ある意味“夢のオーケストラ”がミンガス・ビッグバンドなのだ。結成されて約15年、現在は「イリディアム」で週1回のギグをおこなっている。
それをわざわざ日本に連れ出したひとは大胆で、えらい。むろんミンガスが健在だったときのような、あの、いったいどうしてくれようとのたうちまわりたくなるような毒気、アクの強さは薄い。というかそれを求めてはいけないのだろう。だが21世紀の今、ミンガスの楽曲を普遍的なジャズの素材として解釈・普及しようとすることは価値のある作業だと思う。個人的にはミンガス最後のバンドでトランペットを吹き、その後も自己のバンド“マスター・オブ・サスペンス”で暴れ続けているジャック・ウォルラスの健在と、やはりミンガス・バンドで活躍したジャッキー・マクリーンの門下生である、ウェイン・エスコフェリーエイブラハム・バートンの熱演が強く印象に残った。本当にウォルラスは過小評価されすぎている。デヴィッド・フュージンスキーディーン・ボウマンといった猛烈な才能を、あれほど見事な手綱さばきでまとめることができるミュージシャンなど、ウォルラスのほかに誰がいるだろうか。クレイグ・ハンディが故ジョン・スタブルフィールドの後をつぎ、ミュージカル・ディレクターとして奮闘する姿も実に頼もしかった。ベースのケニー・デイヴィスはレギュラーのボリス・コズロフに替わり、急遽参加(出発の二日前に、他のメンバーと合流した)。彼の音やアプローチはミンガスというよりロン・カーターに近いものを感じさせたが、スー・ミンガスは”suitable”な選択ができたと上機嫌だった。

tijuana moods
tijuana moods
彼らの来日公演はレコーディングされたので、近日中に店頭に並ぶことになるだろう。発売はスー・ミンガスの自主レーベルからだ。ミンガス・ダイナスティミンガス・オーケストラミンガス・ビッグバンドの連名となるアルバム『アイ・アム・スリー』の中でも触れられているが、スーは今3種のチャールズ・ミンガス作品についても作業をすすめている。ひとつは65年のレア盤『ミュージック・リトゥン・フォー・モンタレー』完全版初CD化、そしてもうひとつは70年代初頭のミンガスジョン・ファディスボビー・ジョーンズチャールズ・マクファーソンジャキ・バイアードロイ・ブルックスの演奏。ここではブルックスがソー(のこぎり。都家歌六で有名)で渾身のブルース・プレイを聴かせているとのことだ。
reincarnation of a love bird
reincarnation of a love bird
そして極めつけは64年、コーネル大学でのライヴ。ジョニー・コールズクリフォード・ジョーダンバイアードダニー・リッチモンド、そしてもちろんエリック・ドルフィーからなるミンガス・セクステットによる演奏が、予想以上に良好な音質で発見されたという。スーによると「タウンホール・コンサート(すでにレコード化)を終え、ヨーロッパ・ツアーに出る直前の記録」とのことで、契約上のことがらをクリアすればすぐに出せるとのことだ。この一連のさよならドルフィー・ライヴはいつも「ソー・ロング・エリック」や「オレンジ色のドレス」ばかり演奏されているので、なにか違うレパートリーがあればうれしいなあ、と思う私である。

Think!からリリースされたオルガン奏者、トゥルーディ・ピッツのアナログ盤がすばらしすぎて、さいきんヘヴィー・ローテーションです。手前味噌ですが僕がコメントを書いた『ジ・エキサイティング・トゥルーディ・ピッツ』はとりわけ最高。こんなディープなアルバムがCD化もされず、今の今まで廃盤だったとは、なんというもったいなさ。これを復刻してくれたThink!は偉い。これからも、ファンのニーズをがっちり掴んだ企画を楽しみにしてます。そしてさらに私事ですが、「コルトレーンを聴け!」(ロコモーションパブリッシング)が池袋の大型書店のベスト5に入りました。心から感謝いたします。もちろん、ディスクユニオン各店でもお取り扱い中です。まだの方は、ぜひどうぞ。1月25日発売の「月刊プレイボーイ」もコルトレーン特集です。コルトレーン・ブームか??? 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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