『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第6回 上海と昭和ジャズの間には熱い血潮が流れているぜ
上海猫
上海猫

上海に行ってきた。最近めざましく躍進している場所だというので、その勢いにあやかりたいと思って飛行機に3時間ゆられてきたのだ。きっとジャズ的にも面白いネタがあるに違いない、と思いながら。

ごぞんじかと思うが上海にはかつて“租界”(そかい)があった。1842年、清朝がイギリスとのアヘン戦争に破れ、南京条約を結んだことで上海港が開港され、イギリス、フランス、アメリカ、日本が租界を設けたのだ。租界は第二次世界大戦開戦まで中国の治外法権地域だった。ある国はアヘンを定着させ、ある国は賭博を、そしてまたある国は飾り窓の女たちを持ち込んだ。ジャズもまた、それらと同じようにして上海租界に流れ込んだ。

雑技団
雑技団
カウント・ベイシー楽団などで活動したトランペッターのバック・クレイトンや、ピアニストのテディ・ウェザーフォードが1930年代の上海に長期滞在してジャズを演奏していたことは、日本で出版されたちょっと詳しいジャズ本には必ずといっていいほど触れられている。そしてトランペッターの南里文雄が、ジャズのなんたるかをこの土地で習得したことも。僕が物心ついたとき、もうこの“日本ジャズの父”は現世にいなかった。
最初に聴いた南里のプレイは浅川マキのレコードにゲスト参加して「ロンサム・ロード」かなにかを伴奏しているものだったと思う。吹けば飛ぶようなペナペナした音で、あまり芳しい印象はなかった。
雑技団
雑技団
が、それは老境に入ってからのもの、30年代の南里の演奏はやはりすごかったことを僕は後で知った。
淡谷のり子と共演した「私のトランペット」はベッシー・スミスルイ・アームストロングが組んだ「セントルイス・ブルース」の日本版かなとか、角田孝のギターとデュオを演じた「ラスト・ラウンド・アップ」は、ルイアール・ハインズが一緒にプレイした「ウェザー・バード」にインスパイアされているようだとか、元ネタをなんとなく考えてしまったところはあるが、やはり南里は日本のジャズにおいて不世出な存在ではあった。

少林魂
少林魂
これを読んでいるかたにも、上海=ジャズというイメージをお持ちの向きは多いのではないか。そういえば『上海バンスキング』という物語もあった(バンスは、アドバンス=お金の前借り=の略)。僕が見たのは吉田日出子の自由劇場の舞台ではなく、深作欣二が監督した映画のほう。もっともここでいうジャズとは、じつのところフォックス・トロット・ミュージックなのであるが、租界の多くの自称ジャズ・バンドは、この映画のように「りんごの木の下で」や「月光値千金」(いい邦題だ)を、ズンチャカズンチャカ演奏していたのだろう。テレビ番組「ザ・ベストテン」で網タイツをはいて“これも愛、あれも愛”と歌っていたころの松坂慶子が主演している。風間杜夫がクラリネット奏者役、宇崎竜童がトランペッター役だった。僕の好きな俳優である三谷昇も日本人に優しい中国人役で出ていた(だけど日本軍に殺されてしまう)。シャワーをあびた松坂慶子がネグリジェに着替えて、蓄音機でトミー・ドーシーのSP盤「アイム・ゲッティング・センチメンタル・オーヴァー・ユー」を聴くシーンがなぜか頭に残っている。

和平飯店の老人ジャズバンド
和平飯店の老人ジャズバンド
和平飯店の老人ジャズバンド
和平飯店の老人ジャズバンド
「上海バンスキング」のモデルになったと伝えられるバンドが、もう何十年の間「和平飯店」というホテルで演奏している、という話は前から知っていた。なので、さっそく「和平飯店」に向かう。Peace Hotelというアルファベットが租界時代を感じさせるではないか。コーヒー1杯35元(1元=約16円)。席に着くと、さっそく演奏がはじまった。文字にするとタラー〜ラララー〜ララララー〜〜という感じ。アドリブ・ソロはなく、テーマ・メロディを2回繰り返して終わる。たしかに演奏されている曲は「ハロー・ドーリー」であり、「スターダスト」であり、「ダイナ」なのだが、ありとあらゆる箇所がレガートで奏でられ、シンコペーションが感じられない。だからジャズを聴いたという気分が個人的にはまったくしなかった。“ダダダ”を“ンダッンダッンダッ”と発音してこそジャズだと思うのだが、それを言っちゃあおしまいなのか。“ダ”に前後する“ン”と“ッ”にこそジャズのスパイスを感じる僕にとっては、軍楽隊出身の老人が演奏するアメリカ製の楽曲の生演奏でしかなかった。

コットン・クラブ
コットン・クラブ
コットン・クラブ
コットン・クラブ
どこかにジャズはないのか。日野皓正も最近、上海でレコーディングしたではないか。きっとジャズを聴かせる場所はあるはずだ。ブルックリンの「バーベス」やストックホルムの「グレン・ミラー・カフェ」のような、今のジャズがバリバリに息づいている拠点があってもおかしくはない。と思ったのでガイドブックで見た「ホット・チョコレート」に向かう。だがおかしい。調べた番地にたどりつくと、どう考えてもストリップティーズの店なのだ。大柄な係員が出てきて、なんだね君は、といった感じでじろじろ見つめる。「ホット・チョコレート」という店名を連呼する私。彼のブロークン・イングリッシュ(お互いさまだ)から察するに、もう閉店してしまったようだ。気を取り直して「コットン・クラブ」に行く。現在、上海ナンバーワンのジャズ・クラブと呼ばれているらしい。バンジョーのベラ・フレックが今夜、やるとポスターに書いてある。さっそくドアを開けたら、招待制なので一般客は入れないとのこと。いったいなんなんだろう。僕が断られた後にも、何人もの西洋人が入店できず淋しく道を引き返していった。

カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤
カインド・オブ・ブルーの中国盤

というわけでジャズ的な満足感とは程遠い上海行きだった。 レコード店はクラシック中心で、ジャズはマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』程度。 大塚愛、浜崎あゆみが大量に売られていたのには参った。 だけど雑技団はとても面白かったし、動物園ではレッサーパンダを檻なし、手の届くような距離で見ることができた。レッサーパンダが立ったと大騒ぎしている国がどこかにあるそうだが、あの動物は立つのが当たり前。

偽ローリング・ストーンズ
偽ローリング・ストーンズ
帰国後、僕はモティーフ(北欧ジャズの素晴らしい若手グループ)のメンバーにインタビューした。“こんど上海で演奏するんだよ”“どこ? そんな場所、上海にあるの?”“「JZクラブ」だよ。ブッゲ・ヴェッセルトフトもそこで演奏したんだ”
そう、「JZクラブ」を僕はすっかり忘れていた。こうなりゃ、近いうちにもう一度あそこに行かなければならない。あの大気汚染と、工業排水と、ぼったくりタクシーと、人ごみの街へ。


ここから話は一気に昭和ジャズに飛ぶ。いつだったかディスクユニオンお茶の水駅前店の壁にドーンと飾られ、目玉の飛び出るような値段がついていた白木秀雄の東芝音楽工業盤『加山雄三の世界』がVol・1と2のカップリングでCD化されたのだ。一緒にテイチク盤『祭りの幻想』も再発された。これが相当、売れているという。白木は戦後ジャズの大人気ドラマーだった。1959年だったかに女優の水谷良重(現・水谷八重子)と結婚したが、これは高倉健と江利チエミの結婚と同じぐらい、当時の芸能界では話題になったという。水谷と結婚していた時代は、そのまま商業的にも白木のピークだったようだ。渡辺プロダクションに所属していた白木バンドはジャズ・クラブより、コンサート・ホールやテレビ出演など、より大衆の注目が集まる場を重視、アメリカ直輸入のジャズを翻訳して演奏した。白木のプレイは時にアート・ブレイキー風であるかと思えば、シェリー・マンフィリー・ジョー・ジョーンズマックス・ローチなどから拝借したらしきフレーズもよく出てくる。いろんなプレイヤーのレコードを聴き、おそらく譜面にとって徹底的に練習したのであろう。シンバル・ワークひとつとっても大変な努力がうかがえる。

祭りの幻想
祭りの幻想
『祭りの幻想』では、サックスの松本英彦とピアノの世良譲が傑出している。トランペットは、まあ、当時の日本モダン・ジャズではこんなものなのだろう。ソロは極端に短いし、オープンではなくミュートをつけて吹いていることが多いが、苦肉の策としては良いのではなかろうか。57年に録音されたジャム・セッション『ミッドナイト・イン・トーキョーVol・3』でのラッパ陣の弱体ぶりに比べれば、フレーズになっているだけマシだ。1コーラスまるごと、松本世良が無伴奏でアドリブ・ソロを繰り広げる「ジャスト・ワン・オア・エイト」は、すごい。昭和35年、マイトガイならぬマイト・ジャズ。
コンプリート加山雄三の世界
コンプリート加山雄三の世界
『加山雄三の世界』には、日野皓正(トランペット)、村岡建(テナー・サックス)、大野雄二(ピアノ)が入っている。 ああ日本のジャズは次の時代に入ったのだなあ、と少なくともこの3人のプレイはそう感じさせてくれた。僕は若大将の映画が大好きだ。田中邦衛はいつも最高だし、星由里子もキュートだ。飯田蝶子にもなごむ。たしか『リオの若大将』だったはずだが、前田ビバリが泳ぐシーンでジョアン・ドナートの「アマゾナス」が流れていたのを覚えている。だれが選曲したのか知らないが、あの時点でこのセンスはすごいと思った。とはいえ僕は加山本人にはそれほど興味がない。 いつだったかベンチャーズ黄金時代のギタリストであったノーキー・エドワーズのコンサートに行ったら
コンプリート加山雄三の世界
コンプリート加山雄三の世界
加山が出ずっぱりで参った覚えがある。彼がどんなでかい船を持っていようと僕の知ったことではない。 「君といつまでも」は、憂歌団のカヴァー・ヴァージョンが好きだった。その「君といつまでも」そっくりの曲を、白木バンドはジャズ・バラードとして演奏している。どの曲かはじっさいに商品を手にとって確認してほしい。ぼかぁー幸せだなあ、死ぬまで君を離さないぞ、いいだろう?

白木は常に優秀な若手ミュージシャンをそろえ、モダン・ジャズを戦後日本大衆に流布した。漣健児が海外ポップスに詞をつけ、お茶の間に浸透させたように。

1970年北海道生まれ。 発売が遅れてすみませんでした。お待たせいたしました。『コルトレーンを聴け!』(ロコモーション・パブリッシング)、ついに出ました。ジョン・コルトレーンという、かっこいいサックス奏者のCDやレコードを、350ページにわたって紹介しています。すごく楽しい本ですよ。ディスクユニオンさんでもお取り扱いいただいております。ぜひ、年末年始の友としてお買い求めを。女優生命をかけて書きました。必然性があれば脱ぎます。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

・原田和典のJAZZ徒然草 - ARCHIVESはこちらから・・・>>>
▲このページのトップへ