『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第5回 寒い毎日をコルトレーンの熱い演奏で乗り越えるのも悪くないぜ
ジョン・コルトレーン / バラード
ジョン・コルトレーン / バラード

ハァー。
別に民謡を唸っているわけではない。快い脱力感に見舞われているのだ。宣伝になってしまうことをまず最初にお詫びするが、こんど僕の単行本が発売されるのだ。その校了が終了したのである。ハァー。

タイトルは『コルトレーンを聴け!』。発売元はテリー伊藤さんのロコモーション・パブリッシングだ。早くて12月5日、遅くても12月7日には店頭に並ぶ予定だからジョン・レノンの25周忌の前にはお届けできるだろう。それにしてもジョン・レノンが亡くなってもう四半世紀になるなんて。

ジョン・コルトレーン / 至上の愛
ジョン・コルトレーン / 至上の愛
ラジオから「イエスタデイ」や「レット・イット・ビー」がやたら流れていたことを覚えている。ジョンとはさほど関係ないのに…。

2005年はジョン・コルトレーンに関して別に特別なアニバーサリーだったわけではない。生誕80周年は2006年だし、没後40年はその翌年だ。だが、どういうわけか今年、超ど級(余談だがこの“ど”は超大型戦艦ドレッドノート号の頭文字が由来)の未発表録音が3作も、オフィシャルな形で登場した。コルトレーン・ファンにとっては盆と正月が一緒に来たようなうれしさだったのではないかと思う。すくなくとも僕はそうだった。

マイルス・デイビス / リラクシン
マイルス・デイビス / リラクシン

1956年春、マイルス・デイヴィス・クインテットがカリフォルニア州パサデナでおこなわれたコンサートに出演したときの演奏が『ラウンド・アバウト・ミッドナイト〜レガシー・エディション』の2枚目に収められて登場したのには本当に驚いた。マイルスコルトレーンレッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)からなるラインナップ、いわゆる“マイルス史上初の黄金クインテット”のライヴ録音がオフィシャルな形で出るのはこれが初めてだったからだ。
マイルスがクラブやコンサート出演を重ねることによってバンドの音を鍛え磨き上げていったことは、マラソン・セッションといわれるスタジオ録音『リラクシン』、『ワーキン』、『スティーミン』『クッキン』などを聴いてもわかる。こんなタイトでガチッとした演奏を、基本的に録り直し無しで仕上げてしまったのは、まさにライヴ活動の積み重ねが実をむすんだ成果といえるだろう。彼らの生演奏が、わずか30分ほどとはいえ、予想外のいい音で聴けるのは文句なしの喜び。コルトレーンは司会者に“ジョニー・コルトレーン”と呼ばれている。1954年録音のジョニー・ホッジスのヴァーヴ盤『ユースト・トゥ・ビー・デューク』でも、彼の名は“Johnny Coltrane”と表記されていたし、ひょっとしたら芸名はジョニーで行こうと思っていたのかもしれない。もっともそうなったらジョニー・グリフィンと混同されることがあったのではないかとも思うが、当のグリフィンは50年代の中期まで“Little John または(Johnny) Griffin”と名乗っていたのだった。

セロニアス・モンク / セロニアス・ヒムセルフ
セロニアス・モンク /
セロニアス・ヒムセルフ
マイルスのバンドをコルトレーンは何度も解雇されている。60年の春、ついに自分でやめるのだが、何度目かのクビのときに、失意のコルトレーンを拾ってくれたのがセロニアス・モンクだ。
モンクはもちろんあまりにも感動的なピア二スト、作曲家だが、あらゆる楽器の音域や特質を知り抜いていた“音楽の賢者”。コルトレーンモンクに私淑し、1957年の夏から本格的に彼のバンドで演奏しはじめることになる。コルトレーンを含むモンク・カルテットは今に至るまで一種、神話的に語られている。それは、57年当時の彼らがホームグラウンドにしていた「ファイヴ・スポット」での演奏が音源として公開されていないからだ。僕は『コルトレーンを聴け!』を出すなどと思いもよらなかったときから、いろんなひとにインタビューしてはコルトレーンのことをききだしてきた。マンハッタンのアベニューCにあるオーガニック・カフェ「5C(ファイヴ・シー)」のオーナー、ブルース・モリスさんはモンクコルトレーンを「ファイヴ・スポット」で体験している。

“故郷のフィラデルフィアから初めてニューヨークに来たのは、忘れもしない1957年のことだ。最新のジャズが聴きたくて、まっさきに「ファイヴ・スポット」に行った。セロニアス・モンクジョン・コルトレーンが出演していたからだ。あまりにもすごかった。ぶっ飛んだ”。

ファイヴ・スポットのモンクコルトレーンの共演は現在、『ライヴ・アット・ファイヴ・スポット・ディスカヴァリー』というCDで聴くことができるが、これはコルトレーンがマイルスの許に戻って以降、1958年に同所で一日だけ実現した再会セッションの模様を40分、当時のコルトレーン夫人ナイーマ(ネイマとは呼ばない)が個人的に記録したものにすぎない(という)。今年、突如発掘された『モンク・ウィズ・コルトレーン・ライヴ・アット・カーネギー・ホール』は、録音場所こそアスター・プレイスにある小さなクラブ(ジョニー・グリフィンによると“30人で満杯になるほど狭かった”そう)ではなく、セントラル・パーク近郊の由緒ある大会場でのものだが、正真正銘57年の録音。リアルタイムで動いていた時期のコルトレーン入りモンク・カルテットが、聴衆の前でどんな演奏をしていたか、鮮明な音質で捉えられている。正真正銘の大発掘といえるだろう。
僕も資料集めをかねて、このCDに対するレビューをかなり読んだ。アメリカの雑誌やジャーナリズムは手放しで絶賛、日本の雑誌もほめちぎっていた。100点満点で何点か、といわれたら僕だって100点を差し出すだろう。だけどモンクコルトレーンだぜ、そのへんの奴とはモノが違うんだから100点で当然、このくらいの良さが平均、と思うのもまた正直なところだ。『〜ディスカヴァリー』は素人が客席で録音したものだから音質はひどい。だが演奏の迫力、熱気は仰天ものであり、モンクコルトレーンが真正面からぶつかると100が10000にも80000にもなることがありありと伝わる。それと比べるとカーネギーの演奏は良いのだけど、あのヤバさ、恐ろしさが水で薄められているような感じがする。それは選曲のせいなのか、カーネギーという土地柄なのか、持ち時間の少なさ(2セット、各25分)のためなのか、シャドウ・ウィルソンの従順なドラミングのためなのか。うーん、わからない。もちろん『カーネギー』も驚異的に質の高い演奏だし、こんなバンドが今、出てきたらジャズファンは何百倍にも増えるだろうに!(無論それ以前にファンに演奏のよしあしを聴き分ける能力があることが前提であるが)

そして2005年度第3のコルトレーン発掘音源が『ワン・ダウン、ワン・アップ〜ライヴ・アット・ハーフ・ノート』だ。1965年のNYライヴ。生前のコルトレーンが放送局からもらったFM放送のエアチェック・テープが出所だという。だから司会者の声もけっこう入ってくるし、放送時間が終わるのと同時にCDの音も終わってしまう。4曲中3曲が、出だしが欠けていたり、途中で終わったりしているので、その辺をあらかじめ理解しないと、むずがゆくなるかもしれない。だが演奏はものすごい手ごたえ。タイトル曲を聴いた息子のラヴィ・コルトレーンは“これぞ父親のベスト”と言ったらしい。彼自身のプレイはどうも僕には訴えてこないのだが(カンザス・シティで2時間、ラヴィ・カルテットのライヴを聴いたが、あくびをかみ殺すのに苦労した)、すごく説得力のある意見ではないか。どんなスタジオ録音でも、ここまでの熱気と迫力を盛り込むことはできまい。ラジオ放送がレコードやCDになるケースは、ジャズにはよくある。というかジャズ・クラブからの生放送は一時期、確実に人気を呼べたラジオ・プログラムなのだ。

チャーリー・パーカー / オン・ダイアルVol.1
チャーリー・パーカー /
オン・ダイアルVol.1
古くは1948年のチャーリー・パーカー「ロイヤル・ルースト」ライヴ(現在はサヴォイ・レーベルからCD化)、やはり「ロイヤル・ルースト」から放送中継されたマイルス・デイヴィスの伝説のノネット(9人編成のバンド)が有名だ。このノネットを後にスタジオで再現したのが、あの『バース・オブ・ザ・クール(クールの誕生)』なのだから、当時のラジオ放送はセンスが抜群に鋭かったといえよう。50年代には「バードランド」、「カフェ・ボヘミア」からの放送のほか、ボストン「ストーリーヴィル」での中継も多かったようだ。リー・コニッツの『ジャズ・アット・ストーリーヴィル』は演奏も良いが、ジョン・マクダーモット(と言ったかな?)の司会も実に渋かった。
そして60年代からは「ハーフ・ノート」からの中継が増えていく。他の店からのプログラムと違い、このクラブから中継された「ポートレイツ・イン・ジャズ」はFM番組でありステレオで放送された。
ウェス・モンゴメリー『スモーキン・ギター』(TOKO)、ウィントン・ケリー『ブルース・オン・パーパス』(ザナドゥ:モノラル)、ホレス・シルヴァー『ネイティヴズ・アー・レストレス・トゥナイト』(シルヴェート、のちに32ジャズというレーベルから『リ・エントリー』として再発)なども、
ハーフ・ノートのウェス・モンゴメリーとウイントン・ケリー
(これはエア・チェックではなく、
ヴァーヴ・レコードが発表を前提に
レコーディングしたもの)
この番組がソースだろう。すぐ廃盤になったキャノンボール・アダレイ『レイディオ・ナイツ』(ナイト)もそのはずだ。
やはりウェス・モンゴメリー『ウィロー・ウィープ・フォー・ミー』(ヴァーヴ)は、このクラブで収められたエア・チェック音源に、チンケなブラス楽器をダビングし、あたかもスタジオ録音のように偽装したセコイ1枚。ハーフ・ノートのエア・チェックは基本的に音質がよい。そして演奏が本当にすごい。『ワン・アップ〜』の中ジャケットにも掲載されている写真を見ても分かるように、店内はすごく狭い。もともとライヴを目的に作られた場所ではないので(イタリア大衆食堂なのだ)、バー・カウンターの上に特設ステージを作ってバンドは演奏していたわけだ。他のミュージシャンのツバや汗がかかる距離で演奏家はプレイし、客はそれを手の届くような距離で受け止めていたのである。

1970年北海道生まれ。力道山の墓参りに行った。男気とガッツをさらに磨き、高めるために。天上の力道山に、気合のスピリットを注入してほしかったのである。池上本門寺に行くと、すでに先客がいた。ジャージを着た大男がチョップや蹴りを空に繰り出していた。彼は毎日のようにここでトレーニングしているのだろう。没後42年、今も力道山は男の心に火をともし続ける。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

・原田和典のJAZZ徒然草 - ARCHIVESはこちらから・・・>>>
▲このページのトップへ