『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第5回 寒い毎日をコルトレーンの熱い演奏で乗り越えるのも悪くないぜ |
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![]() ジョン・コルトレーン / バラード ハァー。 ![]() ジョン・コルトレーン / 至上の愛 2005年はジョン・コルトレーンに関して別に特別なアニバーサリーだったわけではない。生誕80周年は2006年だし、没後40年はその翌年だ。だが、どういうわけか今年、超ど級(余談だがこの“ど”は超大型戦艦ドレッドノート号の頭文字が由来)の未発表録音が3作も、オフィシャルな形で登場した。コルトレーン・ファンにとっては盆と正月が一緒に来たようなうれしさだったのではないかと思う。すくなくとも僕はそうだった。 ![]() マイルス・デイビス / リラクシン 1956年春、マイルス・デイヴィス・クインテットがカリフォルニア州パサデナでおこなわれたコンサートに出演したときの演奏が『ラウンド・アバウト・ミッドナイト〜レガシー・エディション』の2枚目に収められて登場したのには本当に驚いた。マイルス、コルトレーン、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)からなるラインナップ、いわゆる“マイルス史上初の黄金クインテット”のライヴ録音がオフィシャルな形で出るのはこれが初めてだったからだ。 ![]() セロニアス・モンク / セロニアス・ヒムセルフ モンクはもちろんあまりにも感動的なピア二スト、作曲家だが、あらゆる楽器の音域や特質を知り抜いていた“音楽の賢者”。コルトレーンはモンクに私淑し、1957年の夏から本格的に彼のバンドで演奏しはじめることになる。コルトレーンを含むモンク・カルテットは今に至るまで一種、神話的に語られている。それは、57年当時の彼らがホームグラウンドにしていた「ファイヴ・スポット」での演奏が音源として公開されていないからだ。僕は『コルトレーンを聴け!』を出すなどと思いもよらなかったときから、いろんなひとにインタビューしてはコルトレーンのことをききだしてきた。マンハッタンのアベニューCにあるオーガニック・カフェ「5C(ファイヴ・シー)」のオーナー、ブルース・モリスさんはモンク=コルトレーンを「ファイヴ・スポット」で体験している。 “故郷のフィラデルフィアから初めてニューヨークに来たのは、忘れもしない1957年のことだ。最新のジャズが聴きたくて、まっさきに「ファイヴ・スポット」に行った。セロニアス・モンクとジョン・コルトレーンが出演していたからだ。あまりにもすごかった。ぶっ飛んだ”。 ファイヴ・スポットのモンク=コルトレーンの共演は現在、『ライヴ・アット・ファイヴ・スポット・ディスカヴァリー』というCDで聴くことができるが、これはコルトレーンがマイルスの許に戻って以降、1958年に同所で一日だけ実現した再会セッションの模様を40分、当時のコルトレーン夫人ナイーマ(ネイマとは呼ばない)が個人的に記録したものにすぎない(という)。今年、突如発掘された『モンク・ウィズ・コルトレーン・ライヴ・アット・カーネギー・ホール』は、録音場所こそアスター・プレイスにある小さなクラブ(ジョニー・グリフィンによると“30人で満杯になるほど狭かった”そう)ではなく、セントラル・パーク近郊の由緒ある大会場でのものだが、正真正銘57年の録音。リアルタイムで動いていた時期のコルトレーン入りモンク・カルテットが、聴衆の前でどんな演奏をしていたか、鮮明な音質で捉えられている。正真正銘の大発掘といえるだろう。 ![]() チャーリー・パーカー / オン・ダイアルVol.1 そして60年代からは「ハーフ・ノート」からの中継が増えていく。他の店からのプログラムと違い、このクラブから中継された「ポートレイツ・イン・ジャズ」はFM番組でありステレオで放送された。 ウェス・モンゴメリー『スモーキン・ギター』(TOKO)、ウィントン・ケリー『ブルース・オン・パーパス』(ザナドゥ:モノラル)、ホレス・シルヴァー『ネイティヴズ・アー・レストレス・トゥナイト』(シルヴェート、のちに32ジャズというレーベルから『リ・エントリー』として再発)なども、 ![]() (これはエア・チェックではなく、 ヴァーヴ・レコードが発表を前提に レコーディングしたもの) やはりウェス・モンゴメリー『ウィロー・ウィープ・フォー・ミー』(ヴァーヴ)は、このクラブで収められたエア・チェック音源に、チンケなブラス楽器をダビングし、あたかもスタジオ録音のように偽装したセコイ1枚。ハーフ・ノートのエア・チェックは基本的に音質がよい。そして演奏が本当にすごい。『ワン・アップ〜』の中ジャケットにも掲載されている写真を見ても分かるように、店内はすごく狭い。もともとライヴを目的に作られた場所ではないので(イタリア大衆食堂なのだ)、バー・カウンターの上に特設ステージを作ってバンドは演奏していたわけだ。他のミュージシャンのツバや汗がかかる距離で演奏家はプレイし、客はそれを手の届くような距離で受け止めていたのである。 |
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1970年北海道生まれ。力道山の墓参りに行った。男気とガッツをさらに磨き、高めるために。天上の力道山に、気合のスピリットを注入してほしかったのである。池上本門寺に行くと、すでに先客がいた。ジャージを着た大男がチョップや蹴りを空に繰り出していた。彼は毎日のようにここでトレーニングしているのだろう。没後42年、今も力道山は男の心に火をともし続ける。
原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |