『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第40回 ジャズ・ピアノでパウエルといえば普通「バド」でキマリだ。けれど、たまにはメル・パウエルも聴いてみようぜ
LIVE AT TARO
LIVE AT TARO

2008年ありがとう、2009年こんにちは、という時期になった。早いものである。
今年も新旧問わずうれしいリリースがたくさんあった。高柳昌行の発掘音源『ライヴ・アット・タロー』(1979年録音)にはすっかり心を奪われた。 このCDを買ってよかった、出会えてよかったと、盤を抱きしめたくなった。こんなすごい「タイム・オン・マイ・ハンズ」を僕はかつて味わったことがない。いや、この曲に限らず、異様なまでのスピード感が全体にみなぎっている。その高柳氏から教えを受けたこともあるという今井和雄の新作

BLOOD
BLOOD
『Blood』も、何度繰り返し聴いたことだろう。ジョルジュ・ブラッサンスの曲が、やけに沁みた。この1枚でダウトミュージックはクリーン・フィードやプレイスケイプといった生気みなぎる海外レーベルとタメを張れる。プロデューサーのフロンティア・スピリットに乾杯だ。ジャズ以外では、やっぱりPerfumeを欠かすわけにはいかない。今年の自分は病膏肓に入る、ならぬパフューム膏肓に入りっぱなしのまま、白日夢状態で生きていたような気もする。これほど、わが追求心、探求心、研究心に訴えてくる音楽が、まだ今も、しかも日本にあったという、喜び慶び歓び悦び。

その気分を持続しつつ、今回の本題であるメル・パウエルに話を移す。いわゆるスイング〜中間派ピアニストのひとりに数えられてはいるものの、そのプレイには豪快なスイング感も、小粋なくつろぎも感じられないという不思議な奏者だ。リズムもコードも無視したような不思議な和音を敷き詰めるかと思えば、突如打楽器的、雨だれ的に単音を連打する。僕がメルのレコードを初めて聴いたのは、キングレコードがヴァンガード・レーベルの「中間派作品」を大量にLP復刻した90年代初頭であったが、こんな「ヘン」なピアニストがいて、しかもスイング系の音楽家として認められているという事実に、かなり驚かされたものだ。「スイングしないピアニスト」といわれるデイヴ・ブルーベックと、「スイング系ピアニスト」と認知されているメル・パウエルの間には、どれほどの差があるというのだろう?

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本名メルヴィン・エプスタイン。1923年2月12日、マンハッタンで生を受けたロシア系ユダヤ人である。子供の頃ブロンクスに移り住み、ヤンキー・スタジアムの近所で成長。野球選手にあこがれることはなかったが、観戦は生涯を通じて大好きだったという。4歳でピアノのレッスンを始めて以来、クラシック一色の生活だったが、弟がジャズ好きだったため、しだいにメルの関心も広がった。そして37年、ブロードウェイのパラマウント劇場でベニー・グッドマン・オーケストラの生演奏を体験する。彼の視線はピアニストへとひきつけられた。以来、テディ・ウィルソンはメルの大きな目標になる。

ジャズにハマったメルは、まだ14歳だというのにジャズ・クラブに自分を売り込む。ディキシーランド・ジャズの店「ニックス」では、インターミッション・ピアノ(バンドとバンドの転換の間に弾く)を担当した。その後、コルネット奏者マグシー・スパニアのバンドに加わり、メル・パウエルという芸名を名乗るようになった。41年には、当時「ダウンビート」と力を二分していた「メトロノーム」誌で、評論家ジョージ・サイモンが“もっとも将来性豊かなピアニスト”としてメルを紹介している。この年の彼にはもうひとつ、大きなトピックがあった。あこがれのベニー・グッドマン楽団への参加である。

BENNY GOODMAN
BENNY GOODMAN
メルはピアニストとしてだけではなく、作編曲家としてもオーケストラに貢献した。「ミッション・トゥ・モスコー」や、スタンダード曲「ジャージー・バウンス」等が、この時期の彼を代表する作品だ。“アイヴィー・リーグの恋人”といわれたヘレン・フォレストの結婚引退を得て参加した歌姫ペギー・リーとともに、メルはグッドマン楽団に新風を吹き込んだ。42年後半にはレイモンド・スコットのオーケストラにも参加。コモドア・レーベルにリーダー・セッションを録音後、約2年にわたる兵役期間中には、グレン・ミラーの空軍バンドでも才能を発揮した。
除隊後はふたたびグッドマン・オーケストラで活躍。同僚には、まだ10代のスタン・ゲッツがいた。46年1月に録音された「フーズ・ソーリー・ナウ」のアレンジなど、妙に不協和音がかった曇り気味のハーモニーに支配されていて驚く。もっともグッドマンという男、“キング・オブ・スイング”と呼ばれた国民的スターではあったものの、人気絶頂のころにバルトークの現代音楽を演奏したり、人種隔離はなやかりし時代に黒人ミュージシャンをレギュラーで起用したり、エディ・ソーターの野心的(当時としては超前衛)なアレンジを採用したり、けっこう果敢なところがある。メルもずいぶんグッドマンに背中を押されたのではないだろうか。

TWO CATS&A MOUSE
TWO CATS&A MOUSE
40年代後半にはハリウッドに移住し、MGMのスタッフ・ミュージシャンに就任。ということは「トムとジェリー」の音楽に携わっている可能性も大だ(同作品には、クラシックもジャズも多用されている)。また映画「ア・ソング・イズ・ボーン」(邦題:ヒット・パレード)ではルイ・アームストロングやグッドマンと共にセッションをおこなっている。
このまま行けばメルは小気味よいスイング・ピアニストとして成功を収めることができただろう。が、彼は再び学びの徒となる。現代音楽家のパウル・ヒンデミットやアルノルト・シェーンベルクに師事し、ハーモニー、作曲などを再習得。学位をとった後は、みずからも音楽大学で教え始めた。先に触れたヴァンガード・セッションは、いわば教職にあったメルを、もう一度ジャズ界の表舞台に引っ張り出した記録といえる。

Bandstand
Bandstand
彼のヴァンガード録音は53年から56年にかけておこなわれている。共演者はバック・クレイトン(トランペット)、エドモンド・ホール、ピーナッツ・ハッコー(クラリネット)、ブーミー・リッチマン(テナー・サックス)、スティーヴ・ジョーダン(ギター)等。と書いていくと、いかにも快適なスイング・セッションを想像してしまうところだが、実際はそうでもない。「ス・ワンダフル」、「ペニーズ・フロム・ヘヴン」といったスイングの定番は、まるで靄がかかったように怪しく響き、だれひとりとして笑ってはいない。へヴィースモーカーだったというメルは、ピアノに灰が落ちるのもかまわず、小難しい顔で鍵盤をポツリと叩き、ときにはギョッとするような和音でスインガーたちを煽っていたはずだ。「中間派ジャズ」というよりは、ボビー・スコットのベツレヘム盤など、いわゆる「イースト・コースト・ジャズ」に共通する不穏な重さを僕は当時のメルの音作りに感じる。

Return Of Mp
Return Of Mp
メルのヴァンガード盤から何か1枚という方には、54年録音の『ボーダーライン』をお薦めしたい。ポール・クィニシェット(サックス)、ボビー・ドナルドソン(ドラムス)とのベース抜きトリオだ。こうした編成はレスター・ヤング〜ナット・キング・コール〜バディ・リッチとか、ベニー・カーター〜アート・テイタム〜ルイ・ベルソンなど少なくないので別に珍重するに値しないが、演奏は実に実に興味深い。まずクィニシェットが、異様だ。彼はレスター(プレズ=大統領と呼ばれた)に傾倒し、ヴァイス・プレズ(副大統領)とまであだ名された人物。なのに、ここでは“レスター・フレーズ禁止令”をメルに出されていたのか、やけにキリリとした、 airy という英単語をわざわざ持ちだしたくなるようなプレイを聴かせるのである。とくに「ホワッツ・ニュー」には、まいった。ポール・ブレイがいた頃のジミー・ジュフリー・スリーを先取りしたかのようなパフォーマンスなのだ。メルのプレイは曲のハーモニーを広げ、しまいにはそこから飛び出し、壮大なピアノ・ソナタと化す。この場所だけ取り出して聴かせたら、誰が原曲のタイトルを言い当てられるだろう。9分近い演奏時間も、当時のジャズ(ジャム・セッションを除く)としては異例なほど、長い。しかもおそらく、この演奏、8割は譜面に書かれているのではないだろうか。
スイングしているかといえば「否」だ。しかし彼は自分の血に忠実な音楽をやっている。そこがいい。

ジャズ界にふんぎりをつけたメルは、57年から69年までイエール大学にも所属した(ということは、ベーシストのスティ−ヴ・スワローがこの時期のメルを知っている可能性は高い)。その後はカリフォルニア・インスティテュート・オブ・ジ・アーツで教え、それと並行して弦楽四重奏やオーケストラのための作品を書き続けた(そのほとんどは無調なのだという)。「Duplicates」という楽曲はピュリッツァー賞に輝き、メル・パウエルの名はミルトン・バビット(最近、ザ・バッド・プラスが彼の曲をカヴァー)やピエール・ブーレーズと並び称されるまでになった。 が、往時の彼を知るジャズ界の仲間たち、唐突に消えた才能を惜しむリスナーは、あくまでジャズ・ピアニストとしてのメルの再起を望んだ。その願いが通じたのか、87年にフランス⇔ノルウェー間の船上でおこなわれたジャズ・クルーズに登場したメルは、ベニー・カーター(アルト・サックス)やミルト・ヒントン(ベース)らと、つかの間のセッションに興じた。彼が亡くなったのはそれから約10年後、1998年4月24日のことである。

 
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1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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