『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第34回 レッド・ホロウェイの疲れ知らずのブロウに体が火照っていくぜ |
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レッド・ホロウェイ レッド・ホロウェイ を御存知だろうか。60年代に絶大な人気を誇ったジャック・マクダフ・カルテット(マクダフ、ホロウェイ、ジョージ・ベンソン、ジョー・デュークス。通称ザ・ヒーティング・システム)の一員であり、ほかにもジョン・メイオール、クラーク・テリー、ホレス・シルヴァー、ミルト・ジャクソンなど数多くのミュージシャンと共演してきたサックス奏者だ。リーダー作はプレスティッジ、コンコード、マイルストーン他にある。そのホロウェイが突如、パシフィコ横浜で開催された展示会「楽器フェア」参加のため来日し、池袋の「マイルス・カフェ」と赤坂の「Bフラット」でセッションを繰り広げた。 僕はとるものもとりあえず、「マイルス・カフェ」にダッシュした。開演時間よりかなり早く会場に到着すると、スーツ姿のホロウェイがサックスを持ってポーズをとっている。どうやら写真撮影のようだ。粋な媒体があるものだと思ったら、 池袋猫 間もなく、リハーサルが始まった。ホロウェイはカラオケみたいなエコーがかかったマイクからわざと離れるようにして、豊かな生音を響かせる。ジーン・アモンズのブルース「ジム・ドーグ」、ホレス・シルヴァーの「ニカズ・ドリーム」、「ソング・フォー・マイ・ファーザー」などを、現地調達のリズム・セクションのサポートで、軽くさらう。素晴らしい楽器の鳴りだ。背丈は170センチぐらいだからアフリカ系アメリカ人としては小柄なほうといえよう。だが、音は大きく、太い。 ◇ ◇ ◇ レッド・ホロウェイ なんて力強く、美しいサウンドなのでしょう。 休憩中のホロウェイに、僕はそう話しかけずにはいられなかった。ホロウェイ それはうれしいね。私たちが若かった頃は、マイクがあったとしても、それは歌手用で、楽器奏者には与えられていなかった。大きな音、楽器をフルで鳴らすためには自分の体を活用するしかなかったんだ。10代の頃、ジョニー・グリフィンと一緒に、山や公園で、どこまで音が遠くまで響くか練習したものだ。このサウンドを保ち続けるために、今もトレーニングを欠かしたことはないよ。 ――― ユージーン・ライト・ビッグ・バンド時代のことを御記憶ですか? ホロウェイ 覚えているよ。1940年代中ごろのことだ。シカゴのサウスサイドにある、ギャングの経営するダンスホールで夜から早朝まで、ぶっ通しで演奏したものさ。サラ・ヴォーンとか、シンガーの伴奏もよくやったね。それにしてもユージーンがデイヴ・ブルーベックと組む(58年、ブルーベック・カルテットにベーシストとして参加)とは思わなかったな。 ――― ユージーンのビッグ・バンドでピアノを弾いていたのがサン・ラだという話をきいたことがありますが。 ホロウェイ そうそう。当時はまだサン・ラとは名乗ってなかった。 ――― ハーマン・ソニー・ブラントというのが、彼の本名のようです。 ホロウェイ なるほどね。ソニーは、デューク・エリントンのような譜面を書き、アール・ハインズのようにピアノを弾いた。レパートリーも殆ど彼がアレンジしていたと思う。サン・ラと名乗るようになってからの彼の音楽はよく知らないけれど… ――― あなたは60年代初頭にニューヨークに出て、ジャック・マクダフ・カルテットに入りますが… ホロウェイ ジャックと私は50年代、お互いにシカゴにいた頃からの知り合いなんだ。最初、彼はベースを弾いていた。いわゆるダブル・ベース(日本語ではウッド・ベース)をね。だけどジミー・スミスのプレイを聴いて、猛特訓の末にジャズ・オルガンをマスターしたんだ。ジャックはウィリス・ジャクソンに引っ張られてニューヨークに行き、私はロイド・プライスのバック・バンドをやめてニューヨークに落ち着くことを決めた。ある日、ジャックから連絡があって、「いまレコーディング中なんだが、サックス奏者が姿を現さない。レッド、手伝ってくれ」といわれて、何曲か吹いた。それから5年ほどジャックのバンドで演奏した。 ――― マクダフ時代にはフルートやアルト・サックスも始めましたね。 ホロウェイ そうしたほうが演奏にバラエティが出るからね。だけど当時の私はいつも自分がテナー・サックス奏者であるという意識を持っていた。フルートで吹いた「ホイッスル・ホワイル・ユー・ワーク」が評判になったけど、あれはノベルティみたいなものだしね。アルト・サックスにしても真剣に取り組んだのはソニー・スティットと出会ってからだよ。< ――― スティットとは、カタリスト・レーベルに『フォーキャスト』、『パートナーズ』というアルバム(76年録音)を残していますね。 ホロウェイ あれは珍しいレコードだけど、日本じゃCDで手に入るそうじゃないか。『パートナーズ』は、LPの頃も、アメリカでは発売されていないと思う。 クッキン・トゥゲザー コースト・トゥ・コースト フォーキャスト ホロウェイ だって即席じゃないもの(笑)。ぶっつけ本番じゃないからね。我々はレコーディングの前からずっとコンビを組んでライヴをやっていたんだ。ソニーが亡くならなければ(82年死去)、今もコンビネーションは続いていたはずだよ。 ――― 先ほど「アルト・サックスに真剣に取り組んだのはソニーの影響だ」とおっしゃっていましたが? ホロウェイ 彼のプレイに接したら、どんなサックス奏者もアルトに取り組んでみたくなるんじゃないかな(笑)。ソニーから学んだことは語りつくせないね。今じゃアルトもテナーと同じぐらい私の中で重要な楽器だ。 ――― ホレス・シルヴァーの曲をいくつか演奏しましたね。 ホロウェイ 彼も私のフェイヴァリット・ミュージシャンだからね。素晴らしい才能の持ち主じゃないか。我々は何度も一緒に演奏したし、「マウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァル」などで日本に来たこともある。< ――― ホレスの容態が気がかりです。どんな感じなのでしょう? ホロウェイ しばらく人前でピアノを弾いていないはずだが…。彼の自叙伝は読んだかい? 面白かったよね(「レッツ・ゲット・トゥ・ザ・ニッティ・グリッティ」)。 ――― あなたは、いつから西海岸に住んでいるのですか? ホロウェイ 1969年だったかな、ニューヨークを離れて以来だね。以来ずっとカリフォルニアに住んでいる。気候もいいし、気持ちよく演奏できる。私は西海岸が好きなんだ。 レッド・ホロウェイ、81歳。今度はぜひ自分のバンドを引き連れて、豊かな生音を響かせてもらいたいものだ。 |
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原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |