『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第33回 ジョージ・ブレイスの改良型Braithophoneが深夜のアヴェニューA に鳴り響いたぜ

すっかり暖かくなってきた、いや、暑いぐらいの今日この頃だ。といってもこれは東京都内のアパートの狭い一部屋で原稿を書いている僕のまわりの気候についていっているのであり、長い冬を終えた北海道方面は花が咲き乱れ快適で過ごしやすいに違いないし、南下していけば(ぼくは広島以南に行ったことはないが)、それはそれはダイナミックに太陽が照り付けていることだろう。

今回もこのコーナーは極寒のニューヨーク・レポートで行くことに決めた。冬の夜、空港を出て、アスファルトを踏みしめると、内股のスジに真っ先に“冷え”が伝わってくる。そして呼吸した途端、鼻毛が一瞬で凍りついたような錯覚にとらわれる。空気は、寒いというよりも、痛い。肌に突き刺さってくるようだ。
そんなときはホテルにダッシュして熱いシャワーを浴びた後、すぐさま寝て(僕の泊まった部屋はバスタブが汚いので、湯をためる気にはなれないのだ)、昼間おこなわれるライヴに備えるのも悪くない。
タイム・ワーナー・センター内にある「ディジーズ・クラブ・コカ・コーラ」(Broadway at 60th St., 5th floor)では、定期的にアフタヌーン・セッションがおこなわれている。夜は、それなりの値段をガッチリとる高級ジャズ・クラブなのだが(田村正和の映画にも登場しているらしい)、昼はぐっとカジュアルだ。僕が行った日は月1回の“バトルの日”、しかも入場料はフリーであった。食べ物・飲み物も持ち込み自由、バーテンもいるので何か飲みたければ彼らに注文することもできる(料金もリーズナブルだった)。敷居を低くすることで、多くの人にジャズの魅力を知ってもらおうということだろうか。家族連れも目立つ。

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ルイス・ボニーリャ、ヴィンセント・チャンドラー
L-R
ルイス・ボニーリャ、ヴィンセント・チャンドラー

おもむろに登場したのはゼヴィア・デイヴィス(ピアノ)、ヴィセンテ・アーチャー(ベース)、クインシー・デイヴィス(ドラムス)の3人だ。演目は「モーニン」。まさか21世紀のNYでこの曲を生で聴けるとは思わなかった。続いて、ルイス・ボニーリャとヴィンセント・チャンドラーが、それぞれの愛器を抱えて登場。トロンボーン・バトルが始まった。僕がルイスを以前に見たのはマッコイ・タイナーのラテン・ジャズ・オールスターズだったと記憶するが、ヴィンセントに関してはまったく初体験だった。帰国して調べると彼はデトロイト出身、ケン(ケニー)・コックスのバンドなどで演奏してきたとのこと。同じくデトロイターであるジェラルド・クリーヴァーとの交友もあるかもしれない。
2トロンボーンの共演といっても、そこはジャム・セッション。とてもじゃないがJ.J.ジョンソンカイ・ウィンディングのような精緻なアレンジを期待するわけにはいかない。だが、ふたりの奔放なアドリブは、トロンボーンという楽器が持つ野性味をしっかりと伝えてくれた。

ドリーン・ケッチンズ
ドリーン・ケッチンズ
クラシック、ジャズ、ブルース等をフィーチャーする「トリニティ教会」(74 Trinity Place)のフリー・コンサート「Concerts at One」(木曜の午後1時から始まる)も相変わらず賑やかだ。僕が行ったときは“ドリーンズ・ジャズ・ニューオリンズ”がガンガンに観客を盛り上げていた。
ローレンス・ケッチンズ
ローレンス・ケッチンズ
メンバーはドリーン(クラリネット、ヴォーカル)とローレンス(スーザフォン)のケッチンズ夫妻に、ウォルター・ハリス(ドラムス)。ドリーンはニューオリンズで“女性版ルイ・アームストロング”と呼ばれ、レーガン、クリントン、父ブッシュといった大統領の前でも演奏したことがあるという。このステージには実に興奮させられた。ブルースをシャウトし、ジョニー・ドッズばりにブロウするドリーンの驚異的な音量と肺活量、体に楽器を巻きつけながらシンコペイトされたビートを絶え間なく繰り出すローレンスの重低音、そしてパーカッション類を織り交ぜたドラムスを駆使してひとり打楽器アンサンブルと化したウォルター。グラント・グリーンのカヴァーで有名な「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」における、永遠に続くのではないかと思える躍動感! すばらしく心おどる音楽に出会えた喜びに、ついドネイションをはずんでしまった。


ユニヴァーシティ・オブ・ザ・ストリートに至る階段
ユニヴァーシティ・オブ・ザ・
ストリートに至る階段

もうひとつ、とっておきの“ドネイション制”ライヴ・スポット(現地のファンは、“ロフト”と呼ぶ)がある。「ユニヴァーシティ・オブ・ザ・ストリート」(130 E.7th street,corner of Avenue A)だ。看板も何も出ていないので探しにくいのが難点だが、オンボロの建物が並ぶ町並みの中で、ひときわ壁に入ったヒビが目立つ、いまにも崩れそうな縦長ビルの2階、しかも階上に空手道場がある、と覚えておけば、迷う確率は少なくなるだろう。69年にアルト・サックス奏者のムハマッド・サラフディーンがオープンし、彼の死後はジョージ・ブレイスが中心となって運営している。トミー・タレンティン(トランペット)、クラレンス・C・シャープ(アルト・サックス)、ジミー・ヴァス(同)、ジミー・ラヴレイス(ドラムス)、デニス・チャールズ(同)、マーヴィン・スミス(同)。スミッティ・スミスとは別人)なども、ここの常連だったそうだ。僕はブレイスが主宰する深夜セッションに行った。そして彼からいくつか話をきいた。

ジョージ・ブレイス
ジョージ・ブレイス
   1) ブレイスは60年代後半、ソーホーに「ミューザート」(同名のプレスティッジ盤がある。Music+Artという意味)というオーガニック・フーズの店を持っていた。そこでは定期的にセッションがおこなわれ、グラント・グリーンやウェス・モンゴメリーが参加することもあった。それらの音源のほとんどをブレイスは記録しており、Excellence Recordsという自主レーベルから出す予定。
   2) 
Braithophoneの朝顔部分
Braithophoneの朝顔部分
Excellence Recordsは約20種を超えるカタログを有しており、それらはブレイス・シスターズなる彼の愛娘たちの作品と、ブレイス自身による過去から現在までの録音に大別される。
   3) 日本ではブレイスホーンというカナ書きで親しまれている彼の愛器のスペルは、正しくはBraithophone(ブレイソフォン)。Phone of Braithという意味であるとか。ストレート・アルト・サックスとソプラノ・サックスを溶接して1976年に完成し、同じ楽器を現在まで改良しつつ使っている。ハンダ付けが上達してから、「すっかり音もれが少なくなり、よりストロングな響きが出るようになった」そうだ。
   4) 名盤『ラフィング・ソウル』のジャケット写真はまだ肌寒いセントラル・パークで撮影された。あのポーズは自分で考えたらしい。それは彼のホームページ(http://www.georgebraith.com/)に掲載されている写真を見てもわかる。
   5) 近年は“バップトロニクス”(Boptronics)なる新形態にも取り組んでいる。「それは何ですか」と質問すると、「楽器であり音楽様式でもあり一概には説明できない」とのこと。CDを購入し、聴いてみたら、
ジョージ・ブレイス
ジョージ・ブレイス
シンセサイザーの和音や打ち込みリズムの上で、Braithophoneが延々と鳴り響いていた。
   6) ブルーノートやプレスティッジにソウル・ジャズ的なアルバムを残しているが、基本的にはビ・バップ命。
しょっぱなの「コンファメーション」から、Braithophoneが炸裂する。この楽器から紡ぎだされる、合っているのか合っていないのかわからないような2つの音が、こちらの神経を心地よく麻痺する。「チェロキー」、「オール・ザ・シングス・ユー・アー」、そしてブルース・コード。ブレイス流ビ・バップはどこかほんわかとして、なんともいえない“おかしみ”がある。そこも彼のたまらない魅力だ。「日本に行ったのは1994年だったかな。またぜひ日本で演奏したいね」と語ってくれたブレイス。バップトロニクスも含めた彼の最新境地を我が国で体感できる時を心待ちにしたい。

ぼくの最新刊『新・コルトレーンを聴け!』(ゴマ文庫)が遂に出ました。ディスクユニオン各店でも好評発売中です。あっと驚く新発見音源を多数追加、既発表の文章もリマスターが施されています。価格もお手ごろなので、御購入いただけるととても嬉しいです。『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)もバリバリに発売中です。また、監修制作中の『THE DIG DISC GUIDE JAZZ SAXOPHONE』(シンコーミュージック)も、近日中にはお届けできるはずです。どうか御愛顧をお願い申し上げます。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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