『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第32回 テッド・プアとゲイリー・ヴァセイシの壮絶な応酬がブルックリンの寒波を吹き飛ばしたぜ
グリニッチ・ヴィレッジの横綱猫
グリニッチ・ヴィレッジの横綱猫

いままで特に意識していなかったアーティストの響きが或るとき突然、心の隙間に鋭く入り込んでくることがある。最近ではドラマーのテッド・プアがそうだった。彼の音に最初に出会ったのはジェローム・サバーグのフレッシュ・サウンド・

North
North
ニュー・タレント盤『North』であったと思う。“思う”というのは、そのドラム・プレイがどんな感じだったのか、当初まるで記憶になかったからだ。発売記念ライヴも「ファット・キャット」(75 Christopher Street)で見ているのであるが、ベン・モンダーがギターを弾いていたなあとか、サバーグのサックスがやや平板だったなあといった印象があるだけで、テッドのドラムスについてはまったく覚えていないのだから困ったものだ。僕はクオン・ヴーの傑作『It's Mostly Residual』を聴いて、ほとんど初めて彼のバチさばきに驚き、酔い、鳥肌を立て、いつかこいつの音を(改めて)生で味わってやるぞと決意を新たにしたのである。

ゲイリー・ヴァセイシとテッド・プア
L-R ゲイリー・ヴァセイシとテッド・プア
マンハッタンに入り、レコード店などをぐるぐる廻って情報を入手していたら、ブルックリンの「バーベス」(9th Street and 6th Ave. in Park Slope)に出演するローレン・スティルマンのバンド“バッド・タッチ”のメンバーが予定とまったく変わってしまったということを知った。スティルマンのアルト・サックスのほか、ピアノ、ベース、ドラムスという楽器編成で出演するはずだったのだが、当夜はオルガン、ギター、ドラムスが彼のプレイをサポートするらしい。しかもドラムスがテッド・プアだって!
なんともはや、これは行かなければならない。
はっきりいって僕はスティルマンのプレイにそれほど魅力を感じたことはない。メタル・マウスピースによる音が鋭すぎる、そのくせ深みに欠ける、と、どうしても思ってしまうし、リーダー作もいくつか聴いたが「帯に短し、たすきに長し」。エイヴィンド・オプスヴィク・オーヴァーシーズの一員として「55バー」(55 Christopher St)に出たときは、もう一人のサックス奏者であるトニー・マラビーのプレイに圧倒されたのか、ラストのほうでは殆ど“吹けて”いなかった。太刀打ちできていなかった。ニューヨーク・ジャズの厳しさを思い知らされた一場面として強烈に覚えている。
だがそれからもう6年か7年が経つ。スティルマンは1980年生まれだから、井上和香や広末涼子と同い年。まだ20代なのだ。伸び盛りの逸材を、いつまでも昔の印象で判断しては気の毒というものだろう。

◇  ◇  ◇

「バーベス」への道を急いだ。地下鉄Fトレインの7th Ave.駅で降り、南西方面出口を出たところをUターンして、左に直進して約5分。レモンスカッシュを飲みながらメンバーの登場を待っていると、スティルマンに続き、雲をつかむような偉丈夫がバンドスタンドにあらわれた。碧眼、広い肩幅、天然そりこみの入った髪の毛、極寒なのにTシャツ。これがテッド・プアである。大きな手に握られたスティックは、まるで割り箸のよう。繊細にして大胆、猛烈にして可憐。どんなに激しくブッ叩いても、なんともいえないメロディアスな“やさしさ”がある。音量は大きいが、ちっともうるさくない。ドラムスの音で編み上げたシーツにくるまれているような心地よさだ。
この日、僕は新たな才能にも出会った。オルガンのゲイリー・ヴァセイシである。グループサウンズが使うような(オックスとか)ペナペナのコンボ・オルガンを会場に持ち込み、ボロボロのアンプにつないだときは「なんじゃこりゃ」と思ったが、文字通り変幻自在のベース・ラインと、すべてのつながるべきつながりをブッた切るかのような右手のソロ・フレーズが飛び出した瞬間、未知の素晴らしいものに出会うことができた僥倖に感謝せずにはいられなくなる。このヴァセイシ、僕が初めて聴いたのはマリア・シュナイダーの最新作『Sky Blue』におけるアコーディオン演奏だったと思うが、

Outside In
Outside In
ここまで狂気を内包する奏者だったとは、うれしくなるじゃないか。だがオルガンを弾くヴァセイシがいつもfar outなプレイをしているかというとそういうわけでもないことは、クリスクロスから出ている最新リーダー作『Outside In』を聴けばわかる(ラストの「Many Places」に、far outの片鱗は感じられるが)。
このアルバムのライナーノーツ(2007年4月録音、同年末発売)によると、ヴァセイシは38歳。長くオレゴン州で演奏し、2002年にニューヨークへ進出した。ライナー執筆時点で4枚のリーダー作と18枚の参加作があるという。父親はイタリア人。家にハモンド・オルガンがあったので子供のころからオルガンを弾き、母親はよく「スターダスト」などをBallpark-Styleで弾いていたらしい。Ballpark-Styleについての説明は思いっきり省略するが、関心のある方はエディ・レイトンの作品を聴いてみてほしい(歴史あるアメリカの野球場、スケートリンク、劇場には、まずオルガンがあるはずだと考えてよいのではないか)。
ヴァセイシはまた、幼い頃からアコーディオンにも親しんでいたようだ。12歳や13歳のころから人前で演奏するようになったが、即興を知ったのは、そのしばらく後のことである。ハイスクールでケヴィン・ヘイズ(現在、ジャズ・ピアニストとして活躍)と出会い、ジャズ・ピアノへの関心を一気に深めた。そして現在はピアノ、アコーディオン、オルガンでニューヨーク・ジャズ・シーンの一角に食い込んでいる。
ジャズ・オルガンに取り組むようになったのは、オレゴンで演奏していた頃、ベース・プレイヤーが不足がちだったからだという。かといってイモなベース奏者を入れるぐらいなら、自分の左手でベース・ラインを弾いたほうがいい。そう考えたのだろう。伝統的なジャズ・オルガン奏法よりも、もっとピアノ的で、spacious(広範)なオルガンを弾きたい、といったようなことも先述ライナーノーツには書いてある。そして、今になってジミー・スミスジャック・マクダフドン・パターソンラリー・ヤングなど歴史的ジャズ・オルガン奏者たちのプレイを真剣に聴いている、というようなことにも触れてある。過去の巨匠を知ることはもちろん大切だが、才人ヴァセイシのことだ、あるいみ手垢のついたオルガンという楽器を必ずや現代ジャズの最前線に放ってくれることだろう。それが確固となったとき、はじめてジミー・スミスやラリー・ヤングの喪が明けるというものだ。

Blind Date
Blind Date
「バーベス」の話に戻る。この日、演奏されたレパートリーはローレン・スティルマンとテッド・プアがほぼ半数ずつ提供していた。もちろんテッドの書いた曲のほうがリズム、メロディの密度が尋常ではなく、才能のある奴はどこまでも才人だなあ、と溜息をつかされた。スティルマンのプレイは、ジョン・ゾーンティム・バーンへの強い敬愛を感じさせるもの。しかしその本物も同じニューヨークで活動しているのだから、どうしても分が悪くなる。とはいえこの日のライヴは、僕が聴いた彼のCD(最新作『Blind Date』を含む)のどれよりも生き生きとして、男気を感じさせた。スティルマンは「このメンバーで活動を始めたのは2週間前。ほとんど準備できずに、ライヴの日が来てしまった」といっていたが、今後、彼ら(スティルマン、ゲイリー・ヴァセイシ、テッド・プア)が
ポール・モチアン
ポール・モチアン
定期的に演奏し、音を磨きこんでいけば現代ジャズを愛してやまないリスナーは素晴らしいサプライズを享受する機会にありつけるに違いない。とはいえ、僕にとってこのライヴはテッド・プアとゲイリー・ヴァセイシの火花散るやりとりに興奮させられっぱなしのまま終わってしまった、というのが正直なところで、リーダーのサックスからは、言い方は悪いが、いささか格落ちだなあという印象をぬぐえなかったのだが…。
ポール・モチアンのバンドに誘われたんだ! 夏の共演ライヴが待ちきれないよ」と語ったスティルマン。モチアンの愛のムチ、ならぬ慈愛のスティックさばきを得て、気鋭スティルマンが飛翔する日を楽しみにしたい。

ぼくの最新刊『新・コルトレーンを聴け!』(ゴマ文庫)が遂に出ました。ディスクユニオン各店でも好評発売中です。あっと驚く新発見音源を多数追加、既発表の文章もリマスターが施されています。価格もお手ごろなので、御購入いただけるととても嬉しいです。『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)もバリバリに発売中です。また、監修制作中の『THE DIG DISC GUIDE JAZZ SAXOPHONE』(シンコーミュージック)も、5月中にはお届けできるはずです。どうか御愛顧をお願い申し上げます。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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