『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第31回 セシルちゃん、餅餡、そしてマラビー、バーン。2008年もニューヨークはゴキゲンだぜ
ペン・ステーション猫
ペン・ステーション猫

リーズナブルな価格で気合の入った音楽がタップリ楽しめる。それがニューヨークの良いところだ。
だから僕は、あまり“名門ジャズ・クラブ”に足を運ぶことはない。金銭的な面を別にしても、ウェイトレスとのやりとりに緊張する、というのもその理由ではある。だって日本にいたらまず接する機会すら来ないであろうブロンドのおねいさんに、メイアイだのウッジューだのと敬語で問われたら(もちろん向こうは仕事として、より多くのチップを得るために慇懃な態度をとっているのだろうが)、どぎまぎするしかないだろう。ああ私はアジア人。

なのだが、「ブルーノート」(131 W 3rd St)にセシル・テイラーのピアノ・トリオ“AHA3”が、「バードランド」(315 W 44th St)にポール・モチアン・バンド(8人編成)が出演するとあっては、何をさしおいても行きたくなるのが人情というものではないか。うん、人情だ。とうなずきつつ「ブルーノート」に足を踏み入れてみると、もちろん超満員である。いまにも“ウィ・ウォント・セシル”という、ファンの声援が巻き起こりそうな熱い空気がグラグラと煮えている。舞台にはすでにウィリアム・パーカー(ベース)、フェローン・アクラフ(ドラムス)があがり、御大登場のプレリュードを演じる。それから約3分後、観客の間をかきわけるようにセシルが登場し、立ったままひとしきり詩を朗読。あとはもう、セシルちゃんのピアノに酔いしれるだけ…
なのだが、なんと僕、聴いているうちにだんだん飽きてしまった。ピアノがクレッシェンドでもりあがればベースやドラムスの響きも音量を増し、ピアノがピアニッシモの極みを表現すると他のメンバーも突如スモール・トーンで静けさを演出する。と書くと褒めているみたいだが、ようするに皆セシルの顔色をうかがいすぎなのだ。萎縮しているのか恐縮しているのか、それともそうするようセシルに指示されているのかは僕の知るところではないが、スキをみては相手を討たんとせんばかりに凄まじい技のやり取りを繰り広げていた、あの“セシル・テイラー・ユニット”の熱気が僕にはなつかしい。飛翔がまだ半分にも至っていないところで、もう着地点に向けて準備しているような音楽。まあ、僕の見たこの日が、たまたまそういうパフォーマンスになってしまっただけなのかもしれないが。

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トニー・マラビー
トニー・マラビー

「バードランド」に出演したポール・モチアン・バンドは大所帯だ。モチアン、トニー・マラビークリス・チークベン・モンダースティーヴ・カーデナスマット・マネリ、ジェローム・ハリス、トーマス・モーガン。個人的には最初の6人に何よりも惹かれる。

クラブのドアを開けるといきなり、正装したスタッフの男性が対応してくれた。
「本日はポール・モーティアンの公演です。彼はアーヴァンガード・タイプのジャズを演奏します。それでもご覧になられますか?」
みたいなことを言われて驚いた。彼は、日本人はチンチキやシャバダバが好きで、年中「ユードビー」やら「枯葉」に合わせて揉み手で手拍子しているイメージを持っているのかもしれないなあ。
「もちろんです。僕はポールの大ファンで、彼を聴くためにここに来たんですよ」
と答えると、ドラムスの真向かいの席に案内してくれた。嬉しいじゃないか。
ほどなくしてメンバーが登場する。モチアンのドラムスを真ん中に、ギター陣が向かって左側、サックス陣が右側に位置する。モチアンの背後には左からマネリ、モーガン、ハリス。モチアンの真横にはトニー・マラビーがいる。1曲目はセロニアス・モンク作「ブリリアント・コーナーズ」。マラビーのテナー・サックスとチークのバリトン・サックスが不穏な空気を爆発させ、カーデナスとモンダーのギターがねちっこく絡んでゆく。モンクがこれを聴いたら快哉を叫びつつ体を回転させるに違いない。先発ソロはマラビーだ。21世紀のサキソフォン・コロッサスは、ワン・フレーズで聴き手をマラビー・ワールドに引きずり込んでしまう。
そんなマラビーを横目で見つつ、鋭い一打を繰り出すモチアン。なんとまろやかな音色なのか。シンプルなドラム・セットが、生き物のようにうねる。ブラッシュ・ワークの名手としても知られる彼だが、このステージではバラードもすべてスティックで演奏した。1枚のシンバルからこんなに多彩なサウンドを引き出せるドラマーを僕は現在のモチアン以外に思いつかない。モンダーとカーデナスのコンビネーションにも大きく魅了された。背が高く手の大きなモンダーが、おもちゃと戯れるようにギターの音を濁らせ、カーデナスが人工ハーモニクスでオブリガートを入れる。その上にはマネリのアンプリファイド・ヴィオラがエーテル状の響きで漂っている。エレアコ・ベースのジェローム・ハリスも、アコースティック・ギターとウッド・ベースの中間のような音で存在感を発揮していた。ただひとり、トーマス・モーガンにインスピレーション不足という印象を受けたが、モチアンに鍛えられて間もなく急成長をとげるであろう。とはいえここはグレッグ・コーエン、ドリュー・グレス、ベン・アリソン級のベーシストが欲しかったところだが。もっぱらテナー・サックス奏者として知られるチークは、このバンドではアルトやバリトンを多用していた。まさかマラビーのテナーが凄すぎるので、あえてテナーを吹く分量を減らしたというわけでもあるまいが・・・・。まあとにかく、クラブ入り口のスタッフ氏は、僕にこういうべきであった。「今夜のライヴは耳が焼けるほど激しくスイングします。これこそ本物のジャズです。このバンドを生で聴けるあなたは幸せだ!」、と。

マラビーは「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」、「眠れない夜は、羊のかわりにあなたの寝息を数える」でも大きくフィーチャーされた。マラビーがほかのユニットでスタンダード・ナンバーを演奏することは、まずないといっていい。しかしデクスター・ゴードンに憧れてサックスを始めた彼にとってスタンダードはもちろん血肉であり、それを愛しているからこそ、そうやすやすとはプレイしないのであろう。スタンダードの安売り商人になる気など、マラビーにはさらさらないのだ。

フレッド・ロンバーグ・ホルム
フレッド・ロンバーグ・ホルム
ステージを降りたマラビーは、これがさっきまで熱演していた人物かと思えるほど物静かで穏やかだ。だが一度楽器を吹くと、まばゆいばかりのオーラが放たれる。そのマジックに触れたくてファンは、マラビーのライヴに通い続けるのだろう。今年もずっと演奏しづめだという。仕事始めはブルックリンの「バーベス」(376 9th St)で、チェロ奏者フレッド・ロンバーグ・ホルム(Fred Lonberg-Holm)、ドラムスのジョン・ホーレンベックとの“マラビー・チェロ・トリオ”。クリーン・フィードから発表された最新作『タマリンド』のツアーも決定した。

「バードランド」最終日の翌々日、マラビーはエイヴィンド・オプスヴィク・オーヴァーシーズの一員として「コーネリア・ストリート・カフェ」(29 Cornelia St)に出演した。溢れんばかりの観客にじっと目を凝らすと、マラビー・ライヴで何度も見かけた常連ファンたちがけっこういる。エイヴィンド・オプスヴィクはノルウェー出身のベーシスト。父親は有名な家具デザイナー(ビートルズが歌にするほど、ノルウェー製の家具は有名である)で、オプスヴィクといえば一般的にはこの父親のことを指す。メンバーはマラビー、ジェイコブ・サックス(ピアノ)、オプスヴィク、ケニー・ウォレセン(ドラムス)。このバンドはとにかく音のダイナミクスが大きい。1曲まるごと、聴こえるか聴こえないかぐらいの音量でプレイすることもある。だが音量を抑えに抑えても、ひとつひとつの音がくっきりと粒立ち、空間にくまなく“通りわたる”のがマラビーのすごさ。マイクを使わないライヴでは、その豊かなニュアンスがいっそう芳醇に感じられる。最後には『オーヴァーシーズII』に入っているオプスヴィクの大定番「Tilt of Timber」を演奏、クラブは沸きに沸いた。

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ティム・バーン
ティム・バーン

最後にもうひとつ、ティム・バーンのライヴについても触れておきたい。90年代前半、バーン、クリス・スピード、マイケル・フォーマネクジム・ブラックからなるバンド“ブラッドカウント”が存在した。それがこの08年に復活、ニュー・レコーディングと共に大々的なツアーに出る

クリス・スピード
クリス・スピード
。その前哨戦というべきライヴが「ジョーズ・パブ」(425 Lafayette St)で行われたのだ。300人は入ろうかという店内は立ち見が出るほどで、レコード店「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー」のオヤジや写真家のスコット・フリードランダーも興奮した面持ちで、歴史的な(といってもいいだろう)“復活ステージ”を見つめている。かつての“ブラッドカウント”では、ときに演奏時間が1曲1時間にもおよび、バーンがバリトン・サックスを吹くことも多かったが、この日は約80分のあいだに7曲を演奏した(バーンいわく、すべて新曲とのこと)。バーンはアルトに専念、スピードもクラリネットは1曲だけで、あとはすべてテナー・サックスを演奏。スッキリとシェイプアップされたブラッドカウントである。

ティム・バーン・ブラッドカウント
ティム・バーン・ブラッドカウント
一聴してすぐに気づいたのは、スピードとブラックの「貫禄」である。思えば結成当時の彼らは、まだまだ無名に近い存在だった。中堅のバーン、フォーマネクに鍛えられている前途有望な青年、というイメージだった。だが今は違う。もう年齢やキャリアの差はみじんも感じさせない。それほど4人が一体化している。学生時代はバスケットボールをやっていたというバーンが2メートル近い長身で自在にアルト・サックスをあやつり、おそらく160センチほどであろうスピードがテナー・サックスを抱きしめるようにしてブロウの掃射を繰り広げる。弓と指でベースを攻めたてるフォーマネク、シンバルには殆ど触れないくせに、ドラムスの縁や各パーツをくまなく叩いて、踊りだしたくなるような律動を生むブラック。今年も面白いジャズに事欠かない1年になりそうだ、と僕は心の中でスキップした。

ぼくの最新刊『新・コルトレーンを聴け!』(ゴマ文庫)が遂に出ました。ディスクユニオン各店でも好評発売中です。あっと驚く新発見音源を多数追加、既発表の文章もリマスターが施されています。価格もお手ごろなので、御購入いただけるととても嬉しいです。『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)もバリバリに発売中です。また、監修制作中の『THE DIG DISC GUIDE JAZZ SAXOPHONE』(シンコーミュージック)も、5月中にはお届けできるはずです。どうか御愛顧をお願い申し上げます。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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