11月のスペインは寒かった。
どうしてこんなに寒いのかアミーゴセニョリータと、街ゆく人にくまなく問いただしたくなるほど寒かった。まばたきするごとにまつげが凍り付き、細胞のひとつひとつが凝固していくかのようだった。僕は日本最寒冷の地といわれる北海道の旭川市で育った。その僕が、もう勘弁してくれと叫びたくなるほどの寒さをスペインは投げつけてきた。雨はひょうにかわり、容赦なく降り注ぐ。みそしるが欲しい、鍋をつまみたい(もちろん鍋そのものではなく、具や汁を)と心から思った。しかもユーロが高い。日本の国力が落ちていることはニュース等で知っているつもりではあるが、それにしても500mlの水1本が、場所によって500円近くになるのでは、さすがにしょげてしまう。
マドリッドのストリートミュージシャン
マドリッドではシルヴィオ・ロドリゲスのコンサートを見た(約10000円! 泣けた)。「パラシオ・デ・デポルテス・デ・ラ・コムニダー・デ・マドリー」という、日本でいえば横浜アリーナと東京国際フォーラム・ホールAをあわせたような特大会場での開催である。場内は超満員、シルヴィオのひとことひとことに会場は沸くのだが、いかんせん言葉がわからないので、どの曲も同じに聴こえてしまい、そこに旅の疲れも加わり、ちょっと退屈した。とはいえチャーリー・ヘイデン等、シルヴィオの曲を好んでとりあげるジャズ・ミュージシャンも少なくないし、僕がいくらか言語的に成長すれば、きっと彼の伝えようとするところがすこしずつわかっていくのであろう。
ポプラート
カフェ・セントラル
バルセロナのレコード店
◇ ◇ ◇
僕がスペインに来たのは7年ぶりだが、「ポプラート」、「カフェ・セントラル」、「クラモーレス」等のジャズ・クラブが相変わらず盛況だったのは嬉しかった。基本的には地元のミュージシャンが出演するが、ときたまアメリカや他のヨーロッパ諸国からの演奏家が思わぬ形でライヴをやったりする。ピアノの弾き語りで知られるベン・シドランがハモンド・オルガンに専念したユニットで出演したり、なつかしの“両手ギタリスト”スタンリー・ジョーダンが今でも万雷の拍手で迎えられたりするのはマドリッドならではの現象なのだろうか。
マドリッドから飛行機に乗ると、1時間ほどでバルセロナに着く。マドリッドとバルセロナのひとには、どこか対抗意識があるようだ。言語も違う(いわゆるカタルーニャ弁になる)。そこには長い長い民衆の歴史があるのだが…。バルセロナ出身のピアニスト、テテ・モントリウはつねづね「私はスペイン人ではない。カタルーニャ人なんだ」と語ったという。
ジャンボリー バルセロナはマドリッドほど寒くはなかった。が、夜になると海風が激しくなる。「今年の寒さはとくに強烈だ」と、フレッシュ・サウンドのオーナー、ジョルディ・プジョル氏はつぶやいた。
(私)「バルセロナでは、どこでいいジャズが聴けますか?」
(ジョルディ)「『ジャンボリー』にぜひ行ってみてほしい。バルセロナ最古のジャズ・クラブで、今も創業時と同じ場所で続いている。ここにはカタルーニャ・ジャズの歴史が息づいているんだ」
ジョルディ氏の著書『Jazz En Barcelona 1920-1965』(Almendra Music)にも、「ジャンボリー」に関する記述はとても多い。1960年オープン、当初はテテがレギュラーで出演し、やがてデクスター・ゴードン、チェット・ベイカー、ドン・バイアス、ブッカー・アーヴィン、ポニー・ポインデクスターなどヨーロッパで活動するアメリカ人ミュージシャンとの交流の場となった。65年にはオーネット・コールマン・トリオ(オーネット、デイヴィッド・アイゼンゾン、チャールズ・モフェット)も長期出演を果たしている。前述書の486ページと487ページには店内で演奏する彼らの写真も掲載されているが、オーネットがプラスチック製のアルト・サックスを吹いているのには驚いた。この時期のオーネットはプラスチックではなく、セルマー社の楽器に持ち替えていたというのが定説なのだが、それがアッサリと崩れたのは個人的には大きな衝撃だった。
(私)「『ジャンボリー』でオーネットはどうしてプラスチック製のアルトを吹いたのでしょう。いきさつを御存知ですか?」
(ジョルディ)「わからないなあ。私はこのライヴを見ていないからね……」
(私)「『ジャンボリー』で最初に見たライヴは?」
(ジョルディ)「ブッカー・アーヴィンだったと思うね。1967年ごろかな。ジャズを好きになり始めの頃で、しばらくは録音機を持ってクラブに通ったものだよ」(ジョルディ)
アルベルト・ボヴェル
オラシオ・フュメロ
現在、「ジャンボリー」はフラメンコ・クラブの隣で営業している(Plaza Reial, 17 Barcelona)。入り口のデザインも、ドアも階段も往時とは変わってしまったし、ボロボロのアップライト・ピアノではなく立派なグランド・ピアノが設置されているが、洞窟のような店内は写真で見るそれと変わらない。僕が行った日はアルベルト・ボヴェル(ピアノ)とオラシオ・フュメロ(ベース)のコンビが出演していた。フレッシュ・サウンド・ニュー・タレントからも『デュオ』というアルバムを出しているふたりの演奏は実に息のあったもので、セロニアス・モンクの「イン・ウォークト・バド」などモダン・ジャズの名曲を楽しませてくれた。
アメリカの鬼才ピアニスト マシュー・シップの告知ポスター
アメリカの弾き語りミュージシャン ベン・シドランの告知ポスター
この時期のバルセロナはまた、ジャズ・フェスティヴァルのシーズンでもある。といってもこのジャズ祭は一日に複数のバンドが出るというものではなく、2週間にわたっていくつものバンドが単独公演をおこなうというシステム。今年の目玉として宣伝されていたのはオーネット・コールマン(3ベース編成)、ソニー・ロリンズ、チック・コリア&ベラ・フレックである。残念ながら僕は日程があわずオーネットを体験することができなかった。とても残念だ。オーネットの現グループのパフォーマンスのいくつかは、ブツ切れではあるがyoutubeで見ることができる。あまりにもすごい演奏なので、目と耳を皿にして体験してもらえれば幸いだ。オーネットは今もますます成長し、前進し、歓喜の音楽をまき散らしていることが改めてわかって、胸の奥がカーッと熱くなった。それだけに生を見れなかったのは実に惜しい。旅行会社に払うキャンセル料を友人に借金してでも、出かける日程を変えればよかった。
会場は1908年に建立され、世界遺産にも指定されている「カタルーニャ音楽堂」(St.Francesc de Paula, 2)。ロリンズの演奏は「老醜」のひとことにつきるものだったが、歴史的な建物の中に入れたのは、とりあえず有意義な経験だった。ちなみにジョルディ氏は13歳のとき、この「カタルーニャ音楽堂」でデューク・エリントン楽団とエラ・フィッツジェラルドの共演を見たことがきっかけで、ジャズのとりこになったのだそうだ。
|