『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第29回 フレッシュ・サウンドのオーナー、ジョルディ・プジョル氏は底なしのジャズ・フリークだぜ

今のジャズ・レーベルは本当によりどりみどりだ。前回触れたアーティストシェアだけではなく、クリーン・フィードも僕の関心を引きつけてやまないが(トニー・マラビー、スティーヴ・リーマン、ハーブ・ロバートソンなどのアイテムを発売)、それとは別に我が心の中では長く“一押し”に位置するレーベルが存在する。

フレッシュ・サウンドである。もはや“スペインの〜”という前置きは不要かもしれない。それほどこのレーベルはワールドワイドだ。
80年代後半に発足したときは、50年代の(主に)ウエスト・コースト・ジャズやヴォーカルものをLPで復刻していた記憶があるが、90年代から路線を徐々に転換し、新レーベル“フレッシュ・サウンド・ニュー・サウンド”からニューヨークやバルセロナの生きのいいジャズをドカドカと世に問い始めた。僕はこのレーベルを通じて多くのミュージシャンを知った。

ジェラルド・クリーヴァー
ジェラルド・クリーヴァー
アイヴィンド・オプスヴィク
アイヴィンド・オプスヴィク
アヴィシャイ・コーエン
アヴィシャイ・コーエン
サモ・サラモン
サモ・サラモン

ブラッド・メルドー、クリス・チーク、ブルームダディーズ、カート・ローゼンウィンケルザ・バッド・プラスジェラルド・クリーヴァー、アイヴィンド・オプスヴィク、アヴィシャイ・コーエン(トランペット)、オマー・アヴィタルクリス・ライトキャップ、ビル・マッケンリー、レベッカ・バッケン(ラリー・グレナディアの妻)、サモ・サラモン・・・・もしフレッシュ・サウンドがなければ、僕が彼らの音に触れる機会はどのくらい遅れていたことだろう。アヴィシャイやクリーヴァーを知らないままジャズ・ファン人生を続けるなんて、いまの僕にとっては死と同然だ。

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ジョルディ・プジョル
カタルーニャ・ジャズ史をまとめた
自著を手にするジョルディ・プジョル

そのフレッシュ・サウンドのオーナー、ジョルディ・プジョル氏が昨年11月に初めて日本を訪れた。以前バルセロナでお会いして以来、約7年ぶりの再会である。浅草寺に行きましょうか、と誘うと、“ノー。それよりレコード店がいい”と主張する。テムプーラやスーシを楽しみませんか、というと、“まずレコードを見たい。日本のレコード店は世界一の在庫を持っているというではないか”といってきかない。とにかく彼はレコードが、ジャズが、音楽が何よりも大好きなのだ。

レーベル・オーナー、レコード・プロデューサーとして知られるジョルディだが、もうひとつ彼には著述家としての一面もある。05年には『Jazz in Barcelona 1920-1965』(Almendra Music)という著書を上梓し、フレッシュ・サウンドからそのサウンドトラックというべき3枚組CDもリリースしている。

(ジョルディ)“カタルーニャのジャズには長い歴史がある。なのにそれに関する本がないことがずっと疑問だった。それで自分で書くことにしたんだ。完成まで10年かかったよ。記事や写真を集め、掲載の許可をとり、関係者に取材して、やっと出版にこぎつけた。今はカタルーニャ語版しか出ていないけれど、いずれは英語版も出したいね”

3枚組CD『Jazz in Barcelona 1920-1965』のディスク1には、主に20年代のレコーディングが収められている。いわゆるポール・ホワイトマン風のフォックス・トロット、ダンス・ミュージックである。20〜30年代の日本のジャズも、残された吹き込みを聴くかぎりでは、まったく同一といっていい。ルイ・アームストロングの熱いプレイではなく、ホワイトマン・オーケストラのセミ・クラシカルな音が“外国”におけるジャズ(=当時最新のアメリカン・ミュージック)だったのだ。

(ジョルディ)“当時のバルセロナのジャズ・バンドは殆どクラシック出身のミュージシャンで構成されていた。それも音作りに反映されているのではないか”
(私)“ルイ・アームストロングの吹き込みは、アメリカではレース(この場合、有色人種向けという意味を持つ)・レコード扱いされていた。いうなれば黒人の民俗音楽である。それをアメリカが輸出しようと思うわけがない。結果的に、ホワイトマンの白人的なサウンドが海を渡り、譜面で再現しやすいがゆえに広まることになったのであろう”

もうひとつ、このCDを聴いていて、僕は往時の日本ジャズと不思議な共通点を感じた。トランペット奏者の数が極端に少ないのだ。とくに50年代以降は、ほぼサックス奏者とピアニストの独壇場といっていい。

(ジョルディ)“モダン・ジャズに勢いがあった時代はちょうどマンボの全盛期と重なるんだ。モダン・ジャズは当時のカタルーニャでは決してポピュラーとはいえなかったから、より多くのお金が入るマンボ・バンドに人材が流れたんだろう。あともうひとつ、50年代のカタルーニャではレニー・トリスターノ流のクール・ジャズが一部で熱狂的に支持されていた。トリスターノのバンドにはリー・コニッツやウォーン・マーシュといったサックス奏者がいたけれど、トランペット奏者はいなかったよね? 要するに当時のカタルーニャ・ジャズにはトランペッターの活躍するスペースが少なすぎたんだ。日本もそうだったのかな?”
(私)“日本の場合、単純にモダン・ジャズを吹けるトランペット奏者が少なかったんだと思います。戦争に負けて、毎日の食べ物に苦労する中で、脆弱な日本人がディジー・ガレスピーのように吹くのは不可能です。57年に録音されたジャム・セッションのアルバムがあるのですが(注・キング盤『ミッドナイト・イン・トーキョーvol.3』のこと)、2人のトランペッターのプレイはサックスやピアノに対して著しく劣ります”
(ジョルディ)“今もそうなのかい?”
(私)“いいえ、私は何人もの素晴らしいトランペッターを知っています。ただ日本ではピアノ、ベース、ドラムスのトリオに人気が偏っているところがあるといわざるを得ません”
(ジョルディ)“確かにフレッシュ・サウンド・ニュー・タレントのカタログでも、リック・ジャーマンソンの『You Tell Me』は日本で驚くほどよく売れている。ところで私はトランペットが、ことのほか大好きなんだ。ファッツ・ナヴァロ、クリフォード・ブラウン、リー・モーガンは今も最大のヒーローだよ。実は私もプロのジャズ・トランペッターだったことがあってね”

(ジョルディ)“70年代の話だよ。当時、フランスのリヨンに住んで、いろんなバンドで吹いていたんだ。レコーディングも1枚あるはずだが、細かいことは覚えていない。いちばん思い出に残っているのは・・・あれは74年頃のことだと思う。リヨンでビリー・コブハム・バンドが来た。だけどビリーが急病になって、コンサートは中止された。そしたらその夜、メンバーのランディ・ブレッカーやマイケル・ブレッカーたちが私の演奏するクラブに遊びに来てくれたんだ。彼らに「一緒に演奏していいかな?」といわれて断る奴なんていないよね。私はブレッカー・ブラザーズと共演したんだ! その興奮は今も忘れられないよ”
(私)“カタルーニャにビ・バップが入ってきたのはいつですか?”
(ジョルディ)“1946年ごろだね。ドン・バイアスがバルセロナに住みついて、多くのカタルーニャ・ミュージシャンに大きな影響を与えた。それによってこの地のモダン・ジャズは大きく発展したといわれているけれど、その間の録音がないんだよね。つまり1949年から56年まで、バルセロナのモダン・ジャズ・レコーディングは一つも存在しないんだ。CDには55年録音のロレンツォ・ゴンサレス・オーケストラの演奏を入れたけれど、これはジャズではなくてマンボだ。テテ・モントリウがピアノを弾くパートは十分にジャズ的だけどね”
(私)“テテについて、ジョルディさんの意見をきかせてください”
(ジョルディ)“偉大なる天才。カタルーニャ・ジャズの質を高め、世界に広めた。だけど彼が才能を発揮したのはジャズ界だけじゃないんだよ。50年代半ば、彼はキューバ人シンガーのPilar Moralesと結婚して、一緒に活動していた時期がある。その時代のボレーロなどを聴いても、素晴らしいとしかいいようがないね”

この翌週、ジョルディ氏はアムステルダム経由でスペインに帰国。僕もフランクフルト経由でスペインに向かった。次回はバルセロナのフレッシュ・サウンド事務所から中継をお届けすることになりそうだ。

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1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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