『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第25回 話題の男、マイケル・アティアスがトニー・マラビーとタッグを組んだぜ
グリニッチ・ヴィレッジ
グリニッチ・ヴィレッジ猫

「私、ジャズが好きです」
「ああ、それは偶然ですね。ぼくもジャズが好きなんですよ。よろしかったら今すぐにお茶でも」
こういう会話をしたいなあと思っている男性ジャズ・ファンは多いことだろう。僕もそうだ。いつかガッキーがオレの目を見つめてこう言ってくれないかといつも思っている。 が、いざというとき、僕はついジャズ・ファンとしての性(さが)を剥き出しにしながら、相手を質問攻めにしてしまいそうだ。
「私、ジャズ好きなんです」
「どんなジャズ? ハード・バップ? それとも新主流派? テナーはショーター派? ジョーヘン派?」
これだけで相手は何のことをいわれているのかわからず、たじたじするばかりだろう。「ジョーヘンのテトラゴン」なんて口に出した日には、特撮映画に出てくる謎の巨大怪獣の名前みたいだ。ジャズの話題を出して失敗したーー、と、相手の顔じゅうの青筋に“後悔感”をうかびあがるのは数秒単位の問題ではないか。淫欲、じゃなくて運よく携帯電話の番号が聞き出せたとして、末尾が「1568」だったらもう、なんだかサングラスをかけたハンク・モブレーの姿が脳裏に浮かんできて、頭の中で「マイティ・モー・アンド・ジョー」のメロディが流れ出すといった塩梅である。

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さてここで話題を急展開するが、今のジャズ・シーン最重要奏者である(と僕は全身全霊で断言する)トニー・マラビートニー・マラビーアヴィシャイ・コーエン(トランペット)やティム・バーンジェラルド・クリーヴァーやネルズ・クラインやビル・フリゼールの音楽は、いったいどこに分類されるのだろう。ハード・バップ? 違う。フリー・ジャズ? なわけない。フュージョン? どこが。
ミュージシャンに尋ねたらすかさず、「そんな分類はいらねえ」「ずばり、オレ自身の表現」といった答えが返ってくるだろう。まあ、そりゃそうだ。ハード・バップに分類される大ベテランのベニー・ゴルソンも「ハード・バップというのは勝手に評論家がつけた言葉で、私自身は自分のジャズをやり続けてきただけ。評論家は分類が好きだからねえ」と言っていたっけ。僕は便宜上「現代ニューヨーク・ジャズ」という言葉を使っているが、クラインはサンフランシスコが本拠地だし、フリゼールはシアトル住民だ。困ったなあ。それにニューヨークは現代を一瞬にして過去にしてしまう都市だ。

マイケル・アティアス
マイケル・アティアス
などと思いながら、コーネリア・ストリート・カフェ(29 Cornelia St.)に行く。本日の出演はマイケル・アティアス(1968年イスラエルのハイファ生まれ)の“Twines of Colesion”。彼は94年からニューヨークで活動し、リー・コニッツアンソニー・ブラクストンに教えを受けている。もっともMichaelのeの上にはウムラウトがついているから(Ë)、マイケルという仮名書きはあまり適当ではないかもしれない。プレイスケイプ、クリーンフィードといった注目のレーベルにリーダー作があるが、最近、日野皓正=菊地雅章クインテットのメンバーに抜擢されたので、日本でも彼の名前は浸透することになるだろう。分厚い譜面を見ながら、細い体をよじるようにしてアルト・サックスを吹くアティアス。いや、吹くというよりも、音を搾り出すといった表現がふさわしい。ロング・トーンをブロウするときの姿勢は、まさしく弓なりだ。
マイケル・アティアス、トニー・マラビー
(L→R)マイケル・アティアス、トニー・マラビー
その横でテナー・サックスを構えるのはトニー・マラビーである。マラビーの巨体と細身のアティアスが並ぶと、遠近法が思いっきり狂う。マラビーのソロ・スペースは決して多くないが、いつもながらの見事な起承転結に僕は興奮しっぱなしだった。アティアスの吹き終えた空間をゆるやかに受け継ぎ、包み込むような低音で間合いを計りながら徐々に上昇、激しく荒れ狂い、見事なまでのフィニッシュにもつれこむ。アティアスも相当、立派な奏者だと思うが、マラビーがなにしろすごすぎる。この存在感、オーラは1957年前後のソニー・ロリンズに匹敵するのではないだろうか。だから僕はマラビーこそ現代最高のサキソフォン・コロッサスだと繰り返し書いているのである。ガタがきたアップライト・ピアノから黄金の響きを取り出したラス・ローシング、近年マラビーとの共演が多いナシート・ウェイツ(アヴィシャイの新トランペット・トリオのメンバーでもある)、ベースのジョン・ヒバート(アティアスはフランス風に“エベール”と紹介)も、アティアスの複雑怪奇な曲を実にスリリングにこなしていた。

「コーネリア」がライヴを始めてからもう10年になるが、新しいジャズ・クラブも少しではあるがオープンしている。いまちょっとした注目を集めているのは「カチャーサ」(35 W 8th St)だ。デューイ・レッドマンの写真が飾ってある本屋(そういう本屋が普通に存在するのが、ニューヨークという場所の粋なところだ)の斜め向いにある。ブラジリアン・ジャズというか、ラテン・ジャズというか、そうしたタイプの音楽が中心のプログラムを組んでいるが、僕の行った日はベース奏者のハンス・グラウィシュニクがカルテットを率いて出ていた。彼は最近やたら売れっ子で、チック・コリアのツアーに同行したり、ミゲル・セノーンのカルテットでも弾いていたりもする。正直いって僕はハンスのプレイに唸ったことはないが、過剰に音を電気増幅しないのは美しいと思う。
デヴィッド・ビニー
デヴィッド・ビニー
この日の共演者はデヴィッド・ビニー(アルト・サックス)、ルイス・ペルドモ(ピアノ)、ダン・ワイス(ドラムス)。“バランス”という自己のバンドで演奏するときはサックスの朝顔にマイクを突っ込み、蚊の鳴くようなスモール・トーンを演出するビニーが、この日はマイク無しでバリバリ吹きまくっていたのが印象的だった。レパートリーもほとんどが4ビートで、「テイク・ジ・コルトレーン」(デューク・エリントン作のブルース)ではビニーが、まるでソニー・スティットかと思えるほど流暢にビ・バップ・フレーズを吹いていた。ただこのカルテット、全体的に退屈で、予想のつく音ばかりがお行儀良く並んでいる感じがしたのも正直なところだ。ハンスにオマー・アヴィタルのような牽引力、ベン・アリソンのような重量感があればなあ。開店記念とかでミュージック・チャージは5ドルの安さだったが、そこにミニマム・チャージ20ドル、居酒屋で言うところの“お通し”(英語で何というのか忘れた)が何ドルか加算され、最終的な支払いは結局ひとりあたり35ドルから40ドルになってしまった。もし僕が宣伝文句を丸呑みにして5ドルしか持たずに店に入っていたら一体どうなっていただろう…。

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マイケル・ハウエル
マイケル・ハウエル

最後にベテランの話題をお伝えしたい。70年代にカタリストやマイルストーンといったレーベルにリーダー作を残し、ディジー・ガレスピー・バンドでも活動したマイケル・ハウエルの近況だ。いわゆるジョン・コルトレーンのコンセプトに取り組んだギタリストとしては彼とネイザン・ペイジ(故人)が双璧だろう。ハウエルはもう10年以上も日曜の昼、「ヴィレッジ・レストラン」(down on 9th Street off of Sixth Avenue)に出演している。日によって元ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴのドン・ムーアがベースを弾くときもあるようだが、僕が見たときは教え子という女性ベーシストがたどたどしいサポートをつけていた。食事のBGMなので、いくらハウエルといえども激しいインプロヴィゼーションを期待するわけにはいかないが、アンプ直結のフルアコースティック・ギターによる太くて粒の揃った音は名手の名に恥じない。先ごろジョー・フォード(アルト・サックス)やケニー・デイヴィス(ベース)と共に、ハード・コアなジャズ・アルバムを吹き込んだそうだから、その発表を心待ちにしつつ本稿を締めくくる。チャオ!

僕の初めてのジャズ以外の本、『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)発売中です。。 『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が「ダ・ヴィンチ」、「ステレオ・サウンド」誌でも取り上げられました。定価は張りますが、700ページのドシドシ分厚い本です。後悔はさせません。清志郎のほとんどのナンバー(複数のテイクがあるものは全ヴァージョン掲載)について書いてあります。ぜひお買い求めのほどを! 『世界最高のジャズ』(光文社新書)も好評発売中です。 どちらも、どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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