Don Fagerquist
Don Fagerquist。
素晴らしいトランペッターである。けっして即興演奏家タイプではないけれど、マッシヴ、ブライト、ブラッシー(プロレスラーではない)などなど、知ってる限りの英単語を並べて吠えたいぐらい、彼のトランペットは輝かしい。ルイ・アームストロングやヘンリー・レッド・アレンなどの、いかにも肉声を楽器に転化させたようなプレイの後に聴くと、さらに喉ごし(耳ごし)がいい。“ああ、今オレはブラスを聴いているんだ”という気分で満たしてくれるのだ。
Don Fagerquist。
一体、なんと読むのだろう。いちおう“ドン・ファガーキスト”という仮名書きが定着しているが、見れば見るほど怪しい。フェイジャクィスト、あたりがいちばん近いカタカナ表記になるのかもしれないが、確証は持てない。いちばんの近道は彼と同姓のひとに発音を尋ねるか、もしくは彼と共演経験のあるミュージシャンに音読してもらうしかなさそうだ。同じように判読困難な名前にベーシストのBuell Neidlingerがいる。彼は健在だからいつか会える日が来るかもと個人的には期待しているのだが、ネイドリンガー、ニードリンガー、ナイドリンガー(語尾は“リンジャー”かもしれない)、いったいどれなのだろう。わからない。が、ここは日本。あの高名な詩人だってギョエテだのゴーシュだのさんざんいわれ、やっと“ゲーテ”に定着したというではないか。ジミー・ジュフレ、ギュッフレ、ジャッファー、あまりにたまりかねた本人が来日時、“おいおいジュフリーと呼んでくれよ”と言ったとか言わなかったとか。
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さて便宜上ドン・ファガーキストと表記されるトランペット奏者は、音色よし、譜面万能、人柄円満、肉体も健康そのもののひとだったようだ。それでなければ、ジーン・クルーパ、アーティ・ショウ、ウディ・ハーマン、レス・ブラウンなどの超一流オーケストラを渡り歩くことはできない。40年代当時のビッグ・バンド興業は殆どの場合、“ワン・ナイト・スタンド”形式だった。つまりバスに揺られてどこかの会場で夜遅くまで演奏し、演奏後そのままバスで移動しながら仮眠をとって、また次の日の夜、別の会場で演奏するということを繰り返しながら1年365日の殆どを過ごすのだ。タフでなければ生きていけない。
ファガーキストは1927年2月6日、マサチューセッツ州ウォーセスターで産声をあげた。そのまま同州ボストンのジャズ・シーンに留まっていれば、やがてはアルト・サックス奏者のブーツ・ムッスリ(この表記も怪しい。僕がレコードのMCで確認したところではマズィーリ)やバリトン・サックス奏者サージ・チャロフ(上記と同様、シャーロフ)などと出会い、ハーブ・ポメロイと共にボストン・モダン・ジャズを代表するトランペッターになっていたかもしれないが、ファガーキストは“西”に移動する道を選んだ。楽器を始めた頃のフェイヴァリット・ミュージシャンはハリー・ジェームス。その後ディジー・ガレスピー、ロイ・エルドリッジ、ボビー・ハケット等のプレイにも強く惹かれた。43年、ハイスクールを中退してマル・ハレット楽団に入り、これがプロのミュージシャンとしての第一歩となる。
Don Fagerquist 長いようで実は長くないファガーキストのキャリア中、最も大きなウエイトを占めるのがレス・ブラウン楽団での活動だ。そう、ドリス・デイがリード・ヴォーカルを務めた「センチメンタル・ジャーニー」を大ヒットさせ、アメリカの戦後を代表する存在となったオーケストラである。この曲は第2次大戦間もなく日本でも流行りだした。戦後の焼け野原の映像にかぶさる歌謡曲といえば並木路子の「リンゴの唄」、もしくは夜の場面なら菊池章子の「星の流れに」が定番だが、洋楽代表を決めるならそれは間違いなく「センチメンタル・ジャーニー」であろう。勝新太郎と田宮二郎が出演する映画「悪名」シリーズの、62年公開作品「続 新悪名」では田宮が渋くこの曲を歌い、“どや、これが「センチメンタル・ジャーニー」ちゅう歌やねん”的な関西弁で勝新に同意を求めるシーンがあったと記憶している。
ファガーキストが参加した1953年頃になると、レス・ブラウン楽団の音楽はすでに「センチメンタル・ジャーニー」から大きく変化していた。偉才フランク・カムストックのアレンジ、デイヴ・ペルのテナー・サックス、ロニー・ラングのアルト・サックス、ジャック・スパーリングのドラムス、トニー・リズィのギター、そしてファガーキストのトランペット・・・・・熱狂的にスイングするリズムとモダンなソロを絶妙にブレンドしたサウンドは、同時期のスタン・ケントンやウディ・ハーマンの楽団以上に評価されてしかるべきでは、と僕は思う。。
at the crescendo
53年録音の『コンサート・アット・ザ・パラディアム(パラディアム・コンサート)』がCDで入手できるのは本当にありがたい。拍手の編集が雑で、どこまで本当のライヴなのかわからないところもあるが、今こんなビッグ・バンドがあらわれ、それを生で聴くことができたら僕は興奮が沸点を超えて心拍停止状態になるだろう。ファガーキストはブラウン楽団での演奏と並行して、その別働隊ともいえるデイヴ・ペル・オクテットでも数多くの吹き込みを残している(キャップ、アトランティック、RCA等)。しかしファガーキストのトランペットを味わうには、ペル・オクテットのサウンドは甘さ過剰だ。むしろメル・トーメのベツレヘム盤『アット・ザ・クレッセンド』あたりのほうが、よりファガーキストのプレイが生かされているように思う。
レス・ブラウン・オールスターズ
ファガーキストは数え切れないほどのセッション・ワークを残して74年に他界したが(テレビ番組「スターズ・オブ・ジャズ」のレギュラー的ミュージシャンでもあった)、リーダー作は57年に録音されたモード盤『エイト・バイ・エイト』しかない。このアルバムでのファガーキストはアドリブを聴かせるよりも、アンサンブル全体をリードする役割が主だが、トランペット奏者が良いと、こんなに合奏が冴えるものか、と改めて思う。もっとファガーキストが聴きたい、という方にはキャピトル盤『レス・ブラウン・オールスターズ』(55年)もいいだろう。アルバムの4分の1が彼のリーダー・セッションだ。テナー3+バリトン1のサックス隊(いわゆるフォー・ブラザーズ・サウンド)をバックに、ファガーキストがスタンダード・ナンバーを明朗快活に吹奏する。 もう1枚、ぜひ通好みのファンにお勧めしたいのが55年録音の『テリー・ポラード』というベツレヘム盤(10インチLP)だ。6,7年前に国内盤で復刻LPが出たので御記憶の方も多いのではなかろうか。ポラードは少女時代のアリス・コルトレーンに影響を与えた女流ピアニスト。ワン・ホーン編成、ファガーキストのトランペットがクッキリと引き立つようにアレンジされている。以上2セッションの主なところは、2005年にフレッシュ・サウンドから出た編集盤『Don Fagerquist Portrait of a Great Jazz Artist』にも収められている。
ドン・ファガーキストがグレイトな“ジャズ・アーティスト”かどうか、正直言って僕にはわからない。が、彼がジャズ界にいてくれてよかった、と思う気持ちは強まるばかりだ。
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