『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第23回 初夏のマンハッタンでスティーヴ・リーマンのサックスが鶴のように舞ったぜ
グリニッチ・ヴィレッジ猫
グリニッチ・ヴィレッジ猫

飛行機に乗ることは嫌いではない。もともと高いところ好きである。それに自分はいま時速何千キロで雲の上を動いているのだなあと実感する気分はなかなか趣ぶかいものだ。 とはいえ、いつも時間通り安全に目的地に到着できるわけでは、もちろんない。いつだったかの“アンカレッヅ不時着”には心臓が縮む思いだったし、乱気流に巻き込まれて食後のコーヒーがカップから25センチも飛び上がったときには血の気が失せた。そして今回は、5時間遅れのフライトである。僕がいつも加入する保険は6時間ディレイになると3万円が下りるのだが、5時間では消しゴムひとつもらえない。航空会社は1500円の食事券(アルコールは不可)をくれたが、チュッパチャプス(税込み42円)を1500円分買ってなめ続けても持て余してしまうぐらい暇だ。


トニー・マラビー
トニー・マラビー
よって「コーネリア・ストリート・カフェ」(29 Cornelia Street)で夜の9時から開催されたトニー・マラビー・アパリションズのライヴにはたどり着けなかった。この近所には猫のいる店が2件あるので、そこで和んでからマラビー体験に挑もうと日本で予定を立てていたのだが、残念ながら未遂に終わった。僕がマンハッタン入りする頃にはもう日付が変わっていたのである。きくところによるとファースト・セットもセカンド・セットも溢れんばかりの超満員、入魂の新曲をこれでもかと演じ、マラビーとジョン・ホーレンベック(ドラムス、パーカッション他)との絡みは言語を絶する壮絶なものだったというではないか。まったく、なんということだ。遅れた飛行機も憎いが、マラビーが世界に一人しかいないということも問題だ。神はマラビーに分身の術を与えるべきではないのか。youtubeで“Tony Malaby”と検索すると、たまにマラビーの映像が出てくる。友人がとったのか、かなりブレている画像もあるが、音の迫力、フレージングのすごさは、こちらの心を射抜くように飛び出してくる。マラビーについては次回以降に改めて触れたい。

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テナー・サックス界はマラビーの圧倒的屹立という感じがしないでもないが、アルト・サックスのほうはどうなのかというと、これがなかなかの激戦である。スティーヴ・コールマンティム・バーンはもう別格だろう。
若手中堅ではスティーヴ・リーマンルドレッシュ・マハンサッパが先頭を走り、デヴィッド・ビニーミゲル・セノーンがそれを追いかけるといった感じか。

タイシャン・ソーリー
タイシャン・ソーリー
「ジャズ・ギャラリー」(290 Hudson Street)に登場したリーマンは、ジョナサン・フィンレイソン(トランペット)、クリス・ディングマン(ヴィブラフォン)、ドリュー・グレス(ベース)、タイシャン・ソーリー(ドラムス)と共に渦を巻くような演奏を展開した。ちなみにディングマンとグレスはリーマンの初リーダー作『Artificial Light』に参加、ソーリーは目下の最新作『Demian as Posthuman』に顔を出していると同時に“フィールドワーク”の同僚でもある。またフィンレイソンとソーリーはスティーヴ・コールマン率いる現ファイヴ・エレメンツのメンバーだ。

リーマンには、やりたいことが山のようにあるのだろう。リーダー・アルバムのどれを聴いても傾向が違う。たとえば第2作の『interface』では、とにかく延々と、聴いているこちらがつい腕時計の秒針の動きを目で追い続けてしまうほどの、無限に続くかのような長時間演奏を聴かせる。といってもCDの表記を見ると最も長い曲でも19分ちょっとなので60年代のジョン・コルトレーンに比べたらかわいいものだが、まるでそれが数時間のように思えるほど、このアルバムでのリーマンは長さを長く感じさせる長いプレイをする。 ライヴ感はタップリだけれど、もし僕がプロデューサーならば、“いいプレイなんだが、あまりにも冗長な部分が目立つなあ”とつぶやきながら、かなりの箇所にハサミを入れることだろう。一方『Demian as Posthuman』は、まるで音で描いた川柳といいたくなるほどシンプルで、短めの演奏が次々と歯切れ良く出てくる。炊き立てのメシ、ほどよく焼けたシャケ、赤味噌汁の中の小さく切られた豆腐が微笑みを運ぶ、腹8分目の朝食といった感じか。リーマンの艶っぽいアルトに絡む電子音は、キュウリの浅漬けだ。

さて本日の演目は長いか短いか。結論。短かった。『interface』のライヴ感を、『Demian〜』の時間軸に圧縮してプレイしているという感じ。
Demian as Posthuman
Demian as Posthuman
最も長い曲でも5分かからなかったと思う。リーマン本人が語ったところによるとほぼ全曲が新曲であるという。メンバーは殆ど譜面を見っぱなし。それにしてもリーマンはいい音を出す。泣きがある。さすがジャッキー・マクリーンの生徒だなあ、としみじみしてしまった(彼はまた、アンソニー・ブラクストンの教えも受けていたそうだ)。マクリーンが亡くなる数年前に来日したとき、僕は彼にずいぶん長く話をきいたことがある。せっかくなのでキャリアを振り返ってもらおうと1950年代のことばかり尋ねていると御大はだんだん不機嫌になり、“そんな昔なんて、いちいち覚えているわけがないだろう。もうインタビューは終わりだ”と言い出した。困ったなあ。どうしようかと思っていたら、ちょうどドリー夫人が入ってきた。僕は彼女の髪型や衣装を賞賛し、“『ジャッキーズ・バッグ』に入っている「バラード・フォー・ドール」は素晴らしい曲ですね。そのモデルとなったあなたに出会えてうれしいです”と話を続けた。そうしたらドリー夫人は笑顔になり、マクリーンも気を持ち直し、インタビューは無事、続行となった。そして最後に“私の学校に入る気はないかね”と一通のパンフレットをくれた。“ぼくはミュージシャンではないので・・・・”、“ジャーナリスト・コースを作る予定も考えているよ”。

マクリーンはコネチカット州ハートフォードで「アーティスト・コレクティヴ」という学校を開いていた。多くの有望な生徒がいるのでしょうね、と僕が尋ねると、マクリーンはこう答えてくれた。“いろいろ生徒はいるが、こいつは絶対に世に出ると思う奴がいる。スー・テリーエイブラハム・バートンウェイン・エスコフェリースティーヴ・リーマン。彼らにぜひ注目してほしい”。当時の僕はその誰をも知らなかった。だが、マクリーンの予言は当たった。上記4人は現在、ニューヨークのジャズ・シーンで多忙を極めている。あのとき「アーティスト・コレクティヴ」に入学していれば、僕は彼らの学友になっていたかもしれない。

スティーヴ・リーマン
スティーヴ・リーマン
リーマンは痩せ型で、見た感じ、かなり細長い。ときどき膝を屈伸しながら“泣き”の音色でプレイする姿は、なんだか鶴みたいだ。クインテットの楽器編成がエリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』とまったく同じというところにも思いっきり興味をそそられた。ヴィブラートを極端に排除し、4本のマレットで硬質なハーモニーをつけていくディングマンは、リーマンのプレイにギョッとするような和音をぶつける。売れっ子タイシャン・ソーリーのドラムスも見事だった。“内山くん”を髣髴とさせるルックスの彼のどこから、どうしてこんなに軽やかな音が出てくるのか。とくにシンバル・レガートのクールなことといったら60年代のジョー・チェンバースと双璧ではないかと思う。すっかり愉快な気分でクラブを後にした。いいライヴを見終わった後に吹かれる風は心地よい。

「55バー」(55 Christopher Street)にはマイケル・ブレイクが“Morphestra”というユニットで出演していた。以前ピアノレス・トリオで聴いたときは他のメンバーとのガチンコ勝負で、肺活量の許す限りビヤビヤと吹きまくっていた感じだが、“Morphestra”でのプレイは“枯淡”というテーマを設けたのではないかと思えるほど抑制が利いていた。ブレイクは無論“ジャズ・コンポーザーズ・コレクティヴ”の一員だが、ここに所属するミュージシャンは大変にジャズ史を勉強している。だが、それが陳腐ななぞりにならず、コピーにも陥らず、必ずひとひねり加えるところがコレクティヴ団員の見識であり、逆にそれゆえいつまでも日本で人気に火がつかないのかもしれない。ブレイクもひとりでテナー・サックスの歴史を背負い込んだようなプレイをする。この日はコールマン・ホーキンスドン・バイアスラッキー・トンプソンなどに通じるラプソディックな一面を打ち出していた。

“Morphestra”の特色は、チャーリー・バーンハムの参加にもある。バーナムというカタカナ表記をされることもある彼は、80年代初頭にジェームズ・ブラッド・ウルマーの通称“オデッセイ・バンド”に所属していたヴァイオリン奏者。カサンドラ・ウィルソンヘンリー・スレッギルなどとも共演歴があり、ジャズ・ヴァイオリンの流れとしてはビリー・バングほど粘っこくなく、リロイ・ジェンキンスほど硬質でもない。最初のほうではブレイクの横でしきりにオブリガートを入れていたバーンハムだが、後半ではなぜかステージの奥に引っ込んで、チロチロとか細い音で弾くにとどまった。本コーナーの常連ミュージシャンのひとりであるジェラルド・クリーヴァー(ドラムス)も、おとなしくブラシをさするだけだ。むしろベン・アリソンの直下型の骨太ベースが印象に残った。まったくすごい生音だ。今のマトモなベース界は本当に逸材の花盛りで、ナイロン弦をゆるく張ってアンプで増幅したり、あやふやな音程をスラーやグリッサンドでカヴァーする奏者など、話にもならない。ドリュー・グレスジョン・ヒバート(エベール)、エイヴィンド・オプスヴィクなどNYジャズ界は力量のあるベーシストに事欠かないが、昨今はアリソンとオマー・アヴィタル(彼の名前Omerは、本来“オメール”と呼ぶのかもしれないが、発音を尋ねたら、“別にオマーでいいよ”と言われた)に最も興奮させられている私だ。

僕の初めてのジャズ以外の本、『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が12月22日に発売されました。 『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が「ダ・ヴィンチ」、「ステレオ・サウンド」誌でも取り上げられました。定価は張りますが、700ページのドシドシ分厚い本です。後悔はさせません。清志郎のほとんどのナンバー(複数のテイクがあるものは全ヴァージョン掲載)について書いてあります。ぜひお買い求めのほどを! 『世界最高のジャズ』(光文社新書)も好評発売中です。 どちらも、どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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