『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第22回 21世紀ジャズのハートビートを刻む男、ジェラルド・クリーヴァーに心の底から魅了されたぜ

「トニック」が閉店し、「ファット・キャット」のジャズ・コーナーも中断されて久しい(ビリヤード・コーナー、バー・コーナーは今も営業しているようだが)。「CBGB」も「カヴェアズ」も「フェズ」も今は亡い。新人ミュージシャンの砦であった「スモールズ」も、いつしか日替わり定食のようなラインナップになってしまった。アートの街、クリエイターの街、カッティング・エッジな街であるニューヨークがこれでいいのだろうか。もっと尖れ、ニューヨーク。 などと心の中でつぶやいきつつ地下鉄Lトレインの駅でハナクソをほじっていると、向こうからテナー・サックスとソプラノ・サックスのケースを持った背の高い男がやってくる。おお、ドニー・マッカスリン(マッキャズリン)ではないか。レコーディングの帰りなのか、それともこれからライヴ会場に向かうのか。彼と出くわすのはこれで何回目だろう。以前はリンカーン・センターの異様に奥行きのあるエレベーターの中で見かけたこともある。

アーサー・ケル・カルテット
アーサー・ケル・カルテット
“あなたはこれからどこに行くのですか?”
ドニー“私は「55バー」に行きます。アーサー・ケルと出演するのです”
アーサー・ケルは何を演奏するのですか?”(僕は彼の名前をこのときまで知らなかった)
ドニー“彼はベース・プレイヤーです”
“他のメンバーは誰ですか?”
ドニー“ギターがブラッド・シェピック、ドラムスがジェラルド・クリーヴァーです。あなたはこれからどこに行くのですか?”
“「ザ・ストーン」に行き、アミナ・クローディン・マイヤーズを見るつもりでしたが、予定を変えます。
ジェラルド・クリーヴァー
ジェラルド・クリーヴァー
もう夜も遅いですし、あの近辺は私にとっては少々、危なく感じられるのです。少しレコード店を巡った後、「55バー」に向かいます”
ドニー“それでは「55バー」で会いましょう”
というような会話を必死にしたら、すっかり腹が減ったため、レコードあさりの替わりにメシを食って「55バー」(55 Christopher St.)に向かった。オーナーが亡くなったという話をきいていたので、果たしてどうなっているだろうと思っていたのだが、まあ、いつもどおりの和やかな「55バー」だった。

◇  ◇  ◇

演奏はすべてリーダーであるアーサー・ケルのオリジナル。今のマトモなジャズ界では必須であるウッド・ベースの生音、イマジネイティヴなベース・ラインは、もちろんクリアしている。が、印象に残ったメンバーを順にあげていくと、どうしても彼が最後になってしまう。他のメンバーのキャラクターが立ちすぎているからだ。とくにジェラルド・クリーヴァーがすごかった。彼の大傑作『アジャスト』を、読者のみなさんは一家に一枚お持ちのことだろう。ジャケットには五厘刈りといっていいほど短髪のクリーヴァーが、たくさんのバチを持って写っている。しかし現在の彼は髪の毛が伸び、ヒゲもたくわえて、別人のような貫禄がついた。プレイもただひたすら、凄いのひとこと。ビシャ、バシンと炸裂するアクセントが体の奥までしみこんでくる。クリーヴァーは“アンクル・ジューン”、“NiMbNl”などいくつものバンドを率いているが、サイドメンとしても大活躍している。今のジャズ界はドラマーが大豊作で、数え切れないほどの逸材がビートを未来に押し進めている。しかし、クリーヴァーほどの瞬発力、ダイナミクスの持ち主に接すると、ここに並ぶ才能は、そうはいないといわざるを得ない。

マリオ・パヴォーン
マリオ・パヴォーン
休憩時間中、感動をおさえきれない風なファン(ちょっと立ち聞きした感じでは、アマチュア・ドラマーらしい)が、クリーヴァーにさかんにドラム奏法について尋ねていたのも印象に残った。 さてクリーヴァー、別の日にはマリオ・パヴォーンのトリオで「ジミーズ」(43 East 7th Street)という店に出ていた。以前「CBGB」でおこなわれていた“フリースタイル・ジャズ”というイベントがここに移り、継続されているのだ。「ジミーズ」の扉をあけると、ドッカンドッカンと音だけが聴こえてくる。それを頼りに足を進めて、狭い通路を端まで歩くと、古びたカーテンの向こう(扉はない)に、クリーヴァー、パヴォーン、そしてトニー・マラビーがいた。まるで地下室というか、穴倉である。演奏は始まったばかりのようだ。
トニー・マラビー“パロマ・レシオ”
トニー・マラビー“パロマ・レシオ”
ベースの弦をひっぱたくパヴォーンと、クリーヴァーのドラムスが絡み合い、マラビーが忘我の境地でサックスを吹きまくる。彼は白熱すると左腕を上下にゆすりながら演奏するクセがある。そのふり幅が今日はことさら大きい。それが翼のように見えてくるから不思議だ。聴き終えた後クタクタになってしまうほどの、息もつかせぬインプロヴィゼーションの応酬だった。
トニー・マラビー”
トニー・マラビー
マラビーこそ現代ニューヨーク・ジャズのアイコンなのではないかと僕は思っている。彼は “チューバ・トリオ”、“ノヴェラ”、“アパリションズ”、“トーン・コレクター”“マラビー=サンチェス=レイニー”などなど、いくつものグループを並行して率いている。ポール・モチアンチャーリー・ヘイデンのバンドでも活躍し、ミシェル・ポルタルとの共演でも刮目すべき成果を挙げていることはポルタルのアルバム『バードウォッチャー』を聴けば分かる。まさしく超多忙、創造的な音楽家からのラヴ・コールが引きもきらないモテモテ男がマラビーなのだ。
「コーネリア・ストリート・カフェ」(29 Cornelia Street)には“パロマ・レシオ”なるユニットで登場した。ベン・モンダー(ギター)エイヴィンド・オプスヴィク(ベース)ナシート・ウェイツ(ドラムス)からなるカルテットだ。リリカル、ソフト、ポエティックという言葉を並べたくなるようなサウンドで、マラビーは半分近くをソプラノ・サックスで通した。客席は満員で(楽器ケースを持った若者が目立つ)、割れんばかりの拍手を受けたマラビーは本当に名残り惜しそうにラスト・ナンバーを吹き終えた。

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オリヴァー・レイク
オリヴァー・レイク

いまや老舗の貫禄をそなえてきた「ジャズ・ギャラリー」(290 Hudson Street)にはオリヴァー・レイク・ビッグバンドが出演した。レイクはもちろんアルト・サックス奏者だが、指揮をしたり、ダンスしたり、シャッフル・ブルースを歌ったりと、それはそれは大活躍。10時半からセカンド・セットが始まるのに、ファースト・セットが終わったのは11時近かった。“ちょっとやりすぎちゃったみたいだなあ”といいながら、ツルツルの頭をタオルでぬぐうレイク。彼もまた、音楽する喜びを全身から発散するプレイヤーだ。ビッグバンドの演奏内容はどちらかというとR&Bやジャンプ・ミュージック寄りで、アンサンブルもあまり揃っていないのだが、その野性味が貴重といえば貴重だ。オーティス・ブラウン3世(ドラムス)デュエイン・ユーバンクス(トランペット)クレイグ・ハリス(トロンボーン)ビル・イーズリー(アルト・サックス)マイケル・コクレイン(ピアノ)等も好演した。

10ドル程度で楽しめるジャズも最高だが、たまにはちょっと奮発したい、という向きには、アルゴンキン・ホテル内「オーク・ルーム」(59 West 44th Street)で日曜の昼に楽しめるバーバラ・キャロルのジャズ・ブランチがお勧めだ。このホテルは確かヘミングウェイも定宿としていた歴史的な建造物で、僕など100年かかっても泊まれないだろう。だが上着を着用し(スニーカーやジーンズはダメだと思う)、食事代とサービス料込みの55ドルを払ってバーバラのピアノと歌を聴くぐらいのことなら、できないわけではない。
ジェイ・レンハートのベースとヴォーカルをサポートに得たバーバラは、サイ・コールマン、スティーヴン・ソーンドハイムなどの楽曲を、トークを交えながら優雅に綴ってゆく。「ア・ナイト・イン・チュニジア」等のインストゥルメンタル曲も聴くことができた。バーバラのピアノが卓越したジャズだとは別に思わないが、ちょっと豪勢な気分になれたし、パンもスープも肉もサラダもケーキも全部うまかった。

マチルダの賞状
マチルダの賞状
ただ何組もあるナイフとフォークを使う順番がよくわからず、このときばかりは塩月弥栄子(ごぞんじですか?)の助けが欲しいと思ったけれど。ついでにキャットラバー各位にお知らせしておくと、アルゴンキンにはマチルダという名物猫がいる。どのくらい名物猫かというと全米の「キャット・オブ・ザ・イヤー」に選出されるぐらいの名物猫である。僕が行ったときは物陰に隠れて寝ていたが、メールアドレスを持っている猫なんてマチルダぐらいだろう。いつだったか誕生会が開かれときには、アメリカ中のキャットラバーが集まったそうだ。マチルダはバースデイケーキを豪快に踏んづけ、クリームまみれの肉球でそこらじゅうにアタックして存在感を示したらしい。マチルダ…

僕の初めてのジャズ以外の本、『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が12月22日に発売されました。 『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が「ダ・ヴィンチ」、「ステレオ・サウンド」誌でも取り上げられました。定価は張りますが、700ページのドシドシ分厚い本です。後悔はさせません。清志郎のほとんどのナンバー(複数のテイクがあるものは全ヴァージョン掲載)について書いてあります。ぜひお買い求めのほどを! 『世界最高のジャズ』(光文社新書)も好評発売中です。 どちらも、どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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