ウィリアム・フッカー
マンハッタンに“ヘルズ・キッチン”なる一帯がある。34丁目から59丁目の、8番街から西あたりが、こう呼ばれている。日本語に直すと“地獄の台所”、なんだかものものしいイメージだが、確かにギャング団の争いの舞台になるなど(映画「ウエスト・サイド物語」も、この地区の話)、なにかと物騒なところである。今もホームレスの収容施設があったり、街灯の数がガクンと少なくなって人通りが急減したり、とてもじゃないが観光気分で訪れる場所ではない。
が、そのヘルズ・キッチンで興味深い音楽フェスティバルが開かれるとなっては行かぬわけにはいかない。題して“第2回 リズム・イン・ザ・キッチン・ミュージック・フェスティバル”。3月29日から31日までの3日間、ヘルズ・キッチンに住むアーティストが中心となって「メトロ・バプティスト・チャーチ」(40丁目の9番街と10番街の間)に集まり、思うところをぶちまけたのである。
音楽監督はウィリアム・フッカーとボブ・カリン。フッカーはニッティング・ファクトリー・レーベルに数多くのリーダー作を残すドラマーで、クリスチャン・マークレイ、ソニック・ユースのリー・ラナルド、サーストン・ムーアらとノイズ・インプロヴィゼーションを繰り広げたり、詩人としても活動する才能の持ち主。彼のおめがねにかなった連中が次々と出るのだから、つまらない内容になるわけがない。ダレた演奏をすれば、すかさずフッカーのドラム・スティックが飛んでくるだろう。各日15ドル、通し券を買えば35ドルという入場料も良心的だ。
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マイケル・マーカス
29日はアレックス・ガルシア・アフロマンタ、マイケル・アティアス、マット・ラヴェルズ・スピリチュアル・パワー。
30日はボブ・フェルドマン&30J、マイク・フリーマン・ゾナヴァイブ、J.D.パラン&アンサンブル・ヘラシアス、ディック・グリフィン+ウォーレン・スミス、
31日はノア・クレシェフスキー&ベス・グリフィス、
マイケル・マーカス&マジック・ドア、ウィリアム・フッカー、サユリ・ゴトウ・ウィズ・ベニー・パウエルなどが出演した。ウィリアム・フッカーの芸風から察するにフリー〜ノイズ系ミュージシャンばかりなのかと思ったら、そうでもない。
ベニー・パウエル
クレシェフスキー&グリフィスのステージは、サンプリングされた電子音とオペラチックな女声ヴォーカルの絡みを徹底的に聴かせるものだったし、ディック・グリフィンは60年代から70年代にかけてローランド・カークのバンドで活躍したトロンボーン奏者、ベニー・パウエルにいたってはカウント・ベイシー楽団に所属して『ベイシー・イン・ロンドン』や『アトミック・ベイシー』など50年代の数多くの名盤に顔を出しているゴキゲンにスインギーなトロンボーン奏者である。
アーロン・ジェームズ
「メトロ・バプティスト・チャーチ」は決して大きな建物とはいえないが、教会だけあって天井が高く、人の声や生楽器の響きが抜群にいい。ほとんどのバンドがマイクを使わずパフォーマンスしたのも好感が持てた。とくに目を見張らされたのは、マイケル・マーカスの演奏だ。彼は80年代から活躍しているベテランで、僕もアルバム数枚を聴いたことがあるが、まわりくどい音使い、抜けの悪いサウンドなどなど、個人的には決して好感の持てるものではなかった。しかしこの日のマーカスはクラリネット1本でブラリとステージにあらわれ、“急逝したトニー・スコットに捧げる”と前置きしながら、熱烈にスイングし、星雲のようにフレーズを撒き散らした。
ベースの新星、アーロン・ジェームズ(音楽院の学生だそうだ)も、マイクやアンプ一切不要のまま重量級のビートを会場内に充満させる。ジェイ・ローゼンのドラムスもブラッシュ・ワークが、ことに素晴らしい。いやー、それにしても、マーカスがこんなに素敵なクラリネット奏者だったなんて、耳からウロコが落ちた気分である。彼が今後もこの楽器に専念すれば、ベン・ゴールドバーグやデヴィッド・クラカウアーの強烈な好敵手となるのではないか。
さらに好きになったという気持ちは、ウィリアム・フッカーにも当てはまる。フッカー(ドラムス)、オクユン・リー(チェロ)、サビア・マティーン、ラス・モシェ(サックス)で構成されたフッカー・バンドは、オスカー・ミショー(映画史上初のアフリカ系アメリカ人監督といわれる)のサイレント・ムーヴィー「Symbol of the Unconquered」にあわせて、約60分間ドラマティックなプレイを展開した。演奏はまずフッカーのドラム・ソロで始まるのだが、これがまた美しい。ひとつひとつの音の余韻を味わうようにして、踊るようにスティックを鼓面に降ろしてゆく。こんなにメロディアスなドラム・ソロに僕が出会うのは、マックス・ローチのそれ(『ドラムス・アンリミテッド』など)以来かもしれない。なんてうまい、おいしいドラムを叩くんだと、僕はほんとうにうっとりさせられた。上半身の無駄のない動き、腕と胴体の密着度、スティックのもちかた、ロールの美しさ、どこからも、フッカーがどれだけ基本をしっかり習得しているかがしっかり伝わってきた。なのに彼のCDはノイズの奥からドシャメシャなドラムスが聴こえて来るものが多いような気がする。普通のプレイを、こんなに鮮やか、燃えに燃えてできるひとなのに、と思うとファンとしてちょっと残念だ。パフォーマンス全体を通じて、映画よりも、ひたすらフッカーの端正なプレイ・フォームにみとれてしまった私である。
ジョン・ヒバート
1697年設立の「トリニティ教会」(1864年に建て直し)ではアンドリュー・ヒルのライヴがおこなわれた。毎週木曜日の午後1時から開催されている“コンサーツ・アット・ワン”(2ドル程度のドネイションが必要)の一環としての出演だ。昨年9月にシカゴで、ジェイソン・モランが「アンドリューは体調を崩している」と語っていたことを思い出しながら、元気になってよかったと主役の登場を待っていたのだが、灰色の上着を着てあらわれたヒルは、見るからにやつれ、歩行もままならぬように見えた。わずか9ヶ月前にハーレムで接したときの、ツヤツヤした、覇気に溢れた表情は、そこにはなかった。
しかし、ピアノの前にすわり、一音弾きだすと、やはりこれは、どうしようもなくアンドリュー・ヒルなのである。
ジョン・ヒバート(ベース)、エリック・マクファーソン(ドラムス)の敬意あふれるプレイが、ヒルのピアノに妖しく絡みつく。この日のヒルはおそらくは書き下ろしであろう組曲を聴かせ(プログラムには“Before I…a composition by Andrew Hill a logical work created from original themes and compositions,in the form of written and improvised music”と記載)、最後に少し間をおいて、ハーレム公演でも演奏した「アイ・シュッド・ケア」のメロディを、かみしめるように奏でた。
(追伸)
アンドリュー・ヒルは4月20日に亡くなった。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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