『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第20回 ジャカルタの夜が音楽一色に染まっていくぜ
ジャカルタの猫
ジャカルタ猫

アジアきっての特大イベント、「JAVA JAZZ FESTIVAL 2007」に行ってきた。JAVAと書くと何かの略号みたいだが、つまりは “ジャワ”のこと。ジャワカレーのジャワである。さぞフェスティバル会場内にはカレーの匂いが漂っているのだろうと思いきや、 そんなことはなかった。漂っているのは音、音、音の渦。それもそのはず、3月2日の昼から4日の深夜にかけて、インドネシアの 「ジャカルタ・コンヴェンション・センター」内にある16会場では、入れ替わりたちかわり200ものライヴ・アクトが催され、 総勢7万人のファンがサウンドに酔いしれたのだ。


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日本からは渡辺貞夫 (連日出演でMVP級の活躍)、伊藤君子小野リサ小沼ようすけなどが参加、 キューバからはオマール・ソーサ、 カメルーンから リチャード・ボナ、ブラジル出身者では セルジオ・メンデスアイルト・モレイラなどが参入した。 チャカ・カーンマーカス・ミラーエリック・レニーニジョン・スコフィールド (『バンプ』、『ウーバージャム』の路線を継続)、 SFジャズ・コレクティヴ (ジョシュア・レッドマンデイヴ・ダグラスボビー・ハッチャーソン他)、 ロン・カーター(ベース)と エルダー(ピアノ)を迎えたハーヴィー・メイソン のスペシャル・トリオなど欧米勢も多くの観客を集めた。とくにSFジャズ・コレクティヴは この3月に大幅なメンバー・チェンジがおこなわれ、 ジョシュアとハッチャーソンが卒業してしまうので、その意味でも大変に価値のある公演であった ハッチャーソンの脱退は実に淋しい。“あなたあってのSFジャズ・コレクティヴじゃないですか。 やめるなんて悲しいです”と問いかけると 、“サウンドの鮮度を保つためにもメンバー・チェンジはまぬがれない。 私がこのユニットで演奏する日々は残り少ないが、楽しんでプレイしているよ”と答えてくれた。ボビハチ節よ永遠なれ、といいたい気分だ。

だがこのフェスティバルで我が好奇心にもっとも訴えたのは、やはり地元インドネシアのジャズだった。僕は数千枚のレコード&CD (最後の引越しの際に、数えることをやめた)を持っているが、その中で唯一のインドネシア・ジャズ作品がMP Sから出た 『Djanger Bali』、 1967年にドイツの評論家ヨアヒム・E・ベーレント がプロデュースした1枚だ。ブビ・チェン(ピアノ)、 ジャック・レスマーナ(ギター)、 マルジョーノ(テナー・サックス)、 ヨピ・チェン(ベース)、 ベニー・ムスタファ(ドラムス)に、 イタリア系アメリカ人のトニー・スコット (クラリネット)がゲスト参加している。オリジナル盤LPで持っていたら実にかっこいいのだが、 僕が所有しているのは97年発表のCD 『Jazz Meets Asia』版である。 ここで聴ける非常に粘っこく、熱く、デロデロのモード・ジャズ (なんとも形容が難しい)は、インドネシアには確実に未踏峰の音が あることを物語っていた。

MPS盤から40年、インドネシアのジャズ界はどうなっているのだろう? ちょうどいいタイミングで、 地元のレコード・プロデューサーと 知り合うことができた。「PT AQUARIUS MUSIKINDO」レーベル・オーナーの クリスタント・グナワン氏だ。 ちなみに彼にはフェスティヴァルと関係のない場所で知り合った。

私「今、インドネシアではどういったジャズ・ミュージシャンが人気ですか?」
グナワン「まず思い浮かぶのはボブ・ジェームズですね。 彼のプロジェクト、フォープレイエンジェルズ・オブ・シャンハイ も 大変な支持を得ています。サックス奏者ではデイヴ・コズの人気が圧倒的です。 アコースティックなジャズよりも、スムース・ジャズ〜フュージョン系に注目が集まっています」
「ビ・バップ(海外ではハード・バップも新主流派も、アコースティックな4ビートであれば、 すべてビ・バップと呼ばれることが多い)は、どうなのでしょう?」
グナワン「あまり支持されているとはいえません。インドネシアの一般のジャズ・ファンにはヘヴィーすぎるのかもしれません。 しかしディキシーランド・ジャズは盛んで、ジャカルタにもいくつかバンドがあります」
「インドネシアにジャズ・クラブはありますか?」
グナワン「出し物のひとつとしてジャズが登場する店はありますが、ジャズ専門のクラブはありません」 「ジャズ雑誌は?」
グナワン「ないですね。インドネシア版ローリング・ストーン誌、もしくはミュージック誌にジャズ関連の情報が載ります」
これだけ読むとフェスティヴァルに「7万人も集まった」という事実が俄かに信じがたくなるが、雑誌が少なくとも、 クラブがなくとも、音に飢えたファンはジャズ祭へ我れ先にと駆けつけるのである。
「オススメのミュージシャンがいたら教えてください」


バラワン
バラワン
アディ・ダルマワン(バラワン・トリオ)
アディ・ダルマワン(バラワン・トリオ)
ドゥウィキ・ダルマワン
ドゥウィキ・ダルマワン

グナワンバラワン・トリオは必見です。 リーダーのギタリスト、バラワンは“インドネシアのスタンリー・ジョーダン” “インドネシアのスティーヴ・モーズ”と いわれるテクニシャンで、タッピング奏法が得意です。それからキーボード奏者の ドゥウィキ・ダルマワン。 彼はインドネシアの国民的フュージョン・バンド“クラカタウ”の中心人物です。 この国の多くの鍵盤奏者が彼に憧れています。テナー・サックスのアリーフ・セティアディ も良いミュージシャンです。 バンドでは“ザ・グルーヴ”をお勧めします。 インドネシアを代表するアシッド・ジャズ・グループです」

アリーフ・セティアディ
アリーフ・セティアディ
ザ・グルーヴ
ザ・グルーヴ

私「ベテランはどうなのでしょう?」
グナワン「ブビ・チェンは相変わらず素晴らしいですよ。インドネシア・ジャズの父として、あらゆるファンに尊敬されています。 高齢のため、多少、足が不自由ですが、ピアノを弾いているときはまるで少年のように若々しいです」

彼の言葉を参考に、機会を見てはインドネシアのジャズ・ミュージシャンを聴いた。大半がフュージョン〜アシッド・ジャズ系。 エレクトリック・ベースがンペンペと鳴り、ハイハットがスッチースッチーと刻まれ、ギターのカッティングがンチャラツカツカと響き、 そのうえにシンセサイザーのDX7風の音色が白玉コードで乗る。個人的には80年代のフュージョン・ブームを思い出したが、 こうしたサウンドこそインドネシアのジャズ・ファンのスイート・スポットなのだろう。それにしても、どのバンドも、 弦楽器奏者の指の早さ、ドラマーの手数の多さは皆、見事。踊り、声をあげ、足踏みし、全身で喜びを表現する オーディエンスの熱気に圧倒されてしまった。

ベニー・リクマフワ
ベニー・リクマフワ
アンディ・ウィリアントーノ
アンディ・ウィリアントーノ
イヴォンヌ・アトモジョ
イヴォンヌ・アトモジョ

ジリー&ハー・バンダブラマ
ジリー&ハー・バンダブラマ
もうちょっとアドリブの比重の多いバンドでは、グナワンも褒めていたアリーフ・セティアディ(テナー・サックス)のユニットに 聴きごたえがあった。 ジョン・コルトレーンの 「ナイーマ」を演奏していたが、MCでわざわざコルトレーンについての長い解説をはさむあたり、うれしくなってしまうではないか。 そういえば、40年以上この国のジャズ界を引っ張っているトロンボーン奏者、 ベニー・リクマフワもコルトレーンの 「イクイノックス」でステージを始めていた。いっぽう身長1メートル足らずのピアニスト、 アンディ・ウィリアントーノ は「バド・パウエル」を筆頭に、チック・コリア ゆかりのレパートリーを次々と演奏した。そのほかピアノ弾き語りの イヴォンヌ・アトモジョ、 ラテン・バンド“ジリー&ハー・バンダブラマ” も人気を集めていた。

ヴィキ・シアニパール
ヴィキ・シアニパール

しかし僕が最も感慨深く聴いたのはドゥウィキ・ダルマワン、ヴィキ・シアニパール というふたりのキーボード奏者のパフォーマンスであった。 ドゥウィキは“ワールド・ピース・プロジェクト”と題し、見るからにいろいろな民族のひとたちとバンドを構成。後半では渡辺貞夫や、 リチャード・ボナ・バンドエティエンヌ・ムバッペ も飛び入りした。ヴィキはインドネシア語のヴォーカルをフィーチャーしたり、エレクトリック・ヴァイオリンと超絶バトルを 繰り広げながら、あえていうならスカイ (ジョン・ウィリアムスのバンド)と ポール・ウィンター・コンソート喜多郎を混ぜ合わせ、 そこにファンクと、ひとさじの「情熱大陸」を振りかけたような作風で90分を疾走した。ドゥウィキもヴィキも、 ガムランで使われる太鼓“ゲンダン”の合奏団を導入していたのが僕の目を引いた。 電気楽器とゲンダンがコントラストを描きながら、 なんともいえない美しいアンサンブルを構成する。 ジョー・ザヴィヌルが彼らを 聴いたらどんな感想を漏らすだろうか、とも考えてしまった。

僕の初めてのジャズ以外の本、『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が12月22日に発売されました。 これまでにもいろんなところで触れてきましたが、忌野清志郎は僕にとって最大のヒーローで、1980年にRCサクセションの 「トランジスタ・ラジオ」を聴いて感動したことで今の自分が決定付けられたといっても過言ではありません。 約1年半かけて、どうにかこうにか、清志郎のほとんどのナンバー(複数のテイクがあるものは全ヴァージョン掲載) について書いたものが、ようやくまとまりました。700ページのドシドシ分厚い本です。ジャズ書ではありませんが、 数あるジャズ関連のサイトの中から、わざわざ僕のコーナーを訪れてくれているあなたのような柔軟で冒険心のある人であれば、 きっと楽しく読んでいただけるであろうことは保証いたします。『世界最高のジャズ』(光文社新書)も好評発売中です。 どちらも、どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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