『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第2回  港町・横浜でハーレムの暑い風に吹かれてきたぜ

夏になると僕のコテコテ魂は一層あつく燃え盛る。

そして横浜方面をじっと見つめながら、あと何日であの興奮が再び味わえるのかと指折り数える。


ハーレム・ナイツ

今年も7月27日から31日にかけて横浜ランドマークホールで「ハーレム・ナイツ」が開催された。ハーレムのナイトクラブで活躍する現役バリバリのミュージシャンが日本で聴けてしまうという、ぜいたくこのうえないコンサートだ。今年で第4回目になるのだが、1回目が開かれたのはもう10年も前のことである。そのときの出演者は忘れもしないジミー・プリーチャー・ロビンズロニー・ヤングブラッドアイリーン・リード。悪いけど僕はこのときまでロニーしか知らなかった(ジミ・ヘンドリックスと演奏していたということで名前を覚えていたのだ)。が、ロビンズがオルガンの前に座り、延々とロング・ノートをプレイしはじめると、僕のコテコテ細胞がうずきだして困った。ゴリゴリのブルースから「フィーリング」まで、もうどんな曲でも彼のものにしてしまう。さすが“プリーチャー”と呼ばれるだけあって、客を煽ることもうまい。

ロニー・ヤングブラッドは“プリンス・オブ・ハーレム”というキャッチフレーズと共に紹介されたように思う。このライヴから数年後、僕が彼にインタビューしたとき、こう命名してくれたのはキング・カーティスなんだ、とロニーは答えてくれた。“お前は演奏もルックスもオレに似ていて、なかなかいいぜ。ハーレムのプリンスと呼ぼう。だけどキングはオレだぜ”、ということらしい。そしてジミ・ヘンドリックス(当時はジミー・ジェイムズといった)とは60年代初期にいくつものバンドを荒らしまわった友人同士だった。“軍隊で知り合ったんだ。あいつにドラッグを教えたひとりがオレなんだ。2人でキメたものさ。今ではとても後悔している”と語ってくれた。それからしばらく彼は、自分がいかにドラッグから脱出したかという話をしてくれたが、こういう話題をこちらから振ることは(少なくとも僕には)できないし、大抵のミュージシャンは語ろうとはしない。なのにロニーはなぜか赤裸々にジェイルでの体験も含めて告白してくれた。ジミが曲を作って歌い始めることに彼が反対したことも笑顔で話してくれた。“ある日ジミが「オレの作った曲を聴いてくれ」って言うんだ。今にしてみればウィンド・クライズ・マリーかなんかだと思うけれど、当時のオレには理解できなかった。「そんな歌、誰が聴くんだい? お前にヴォーカルの才能はないよ」。その後のことは歴史が証明しているよね。ジミは時代のずっと先を行っていたんだ”。

ロニーの得意技は両足の間にサックスをはさんでバンザイをしながら、超高音を延々とブロウすること。もちろん低音でしっとり歌い上げるバラードも絶品だし、ビル・ドゲットの大名曲「ホンキー・トンク」ではキング・カーティスがよみがえったかのようなホンカーぶりをみせてくれた。今、こんな風に吹ける現役ミュージシャンが他にどのくらいいるか。

アイリーン・リードカウント・ベイシーのオーケストラでも歌ったことのあるシンガー。ダイナ・ワシントンエスター・フィリップスのファンならヨダレものだろう。彼女のすごいところは、何を歌ってもブルースにきこえること。僕のオールタイム・フェイバリット漫画である『マカロニほうれん荘』のきんどーちゃん(40歳)にルックスが似ているのも親しみがもてた。グラディス・ナイトと一緒に、激似きんどーちゃんバトルをしてほしいぐらいだ。ロビンズのオルガンに包み込まれるように、ブルースをシャウトしていたアイリーンの姿は今も目に焼きついている。僕は大満足で横浜を離れたのだった。

◇  ◇  ◇


ミンツィ・ベリー

当然、翌年には第2回「ハーレム・ナイツ」が開かれるものと思っていたが、ぜんぜんそんな情報は入ってこなかった。あのコンサートはもう幻だったのかと思った時期も過ぎて、存在すら忘れかかっていたころ、唐突に「ハーレム・ナイツU」開催を知った。これが2003年のことである。その間にランドマークホール界隈の風景は変わった。みなとみらい線が開通し、渋谷から行く時間が大幅に短縮された。そして出演者も変わった。03年からはミンツィ・ベリー(ヴォーカル)、オマー・エドワーズ(タップダンス)を中心に、その都度メンバーが入れ替わるという形になっている。ロニー・ヤングブラッドジミー・プリーチャー・ロビンズも再来日を果たした。ミンツィのヴォーカルは見るごとに貫禄がつき、オマーのタップダンスはいつ見ても人間技とは思えない。会場ではソウルフードもいくつか売られている。僕は初めてのアメリカ旅行で、アフリカ系アメリカ人運転手(ジュニア・マンスや、トロンボーン奏者ベニー・グリーンのバンドで活躍したドラマー=ポール・ガスマンの親戚)の小さなバンに乗ってメンフィスやミシシッピの街道沿いにある小さな食堂、中身はボロボロで蛍光灯もつけられていなく日が落ちたらそのまま閉まってしまうような店、で、チトリンズやらホグ・モーやらコーンブレッドやらカラード・グリーンズやらを、甘い紅茶と一緒に胃袋に流し込んだことがある。もう一度行きたいなあと思いつつもう10数年になるが、横浜で食べるコーンブレッドは、いつでも僕をあの南部へ連れ戻してくれる。


シュガーヒル・ジャズ・カルテット
今年2005年におこなわれた「ハーレム・ナイツIV」の出演者はジェームス・カーターミンツィ・ベリー、オマー・エドワーズ、そしてシュガーヒル・ジャズ・カルテット。シュガーヒルというのはハーレムの一地区の名前。ジョニー・ホッジス『ブルース・ア・プレンティ』(ヴァーヴ)、ジミー・スミス『ホーム・クッキン』(ブルーノート)に同名タイトルの曲があるし、ヒップホップのレーベル名にも使われている。シュガーヒル・ジャズ・カルテットのメンバーはペイシェンス・ヒギンズ(テナー&ソプラノ・サックス)、マーカス・ペシアーニ(ピアノ)、アンディ・マクラウド(ベース)、グレッグ・バンディ(ドラムス)。

ペイシェンス・ヒギンズ
ヒギンズはどちらかというとバリトン・サックス奏者として活動することが多く、個人的にはロドニー・ケンドリック(ピアノ。ランディ・ウェストンの愛弟子で、ダイアナ・ロスの確か義理の息子)の名盤『ダンス・ワールド・ダンス』(ヴァーヴ)や、ハミエット・ブルーイットとのバリトン・アンサンブルの印象が強いのだが、テナーもソプラノも派手ではないけれど、渋くていい。職人さんの音、という感じだ。
ベースのマクラウドは椅子に座り、ベースを前に投げ出して演奏するような姿勢のせいか、どこかリチャード・デイヴィスを思わせる。そういえばリチャードもマクラウドもエルヴィン・ジョーンズと縁が深い。78年、奇跡といわれたエルヴィンの再来日でベースを弾いたのがマクラウドなのだ。


グレッグ・バンディ
ドラムスのグレッグ・バンディジョン・パットンジャック・マクダフロニー・スミスなど殆どのジャズ・オルガン奏者と共演してきた筋金入りのプレイヤー。彼のリーダー作『ライトニング・イン・ア・ボトル』はゲイリー・バーツオル・ダラドナルド・スミス(ロニー・リストン・スミスの弟)なども参加したパワフルな内容だった。

オマー・エドワーズ
オル・ダラが歌う「レイン・シャワー」なんて、彼のソロ・アルバム『フロム・ナッチェス・トゥ・ミシシッピ』(アトランティック)に収められているヴァージョンより、よほどディープだった。

デューク・エリントン作「アンジェリカ(パープル・ガゼル)」などをバンドで演奏したあと、ミンツィ・ベリー登場。ハーレム「コットン・クラブ」の専属シンガーであり、 ハーレム・ゴスペル・シンガーズのリード・ヴォーカリストでもある。


オマー・エドワーズ
広いステージを縦横無尽に行き来し、マイクなどいらないのではないかと思えるほどの豊かな声量で圧倒する。オマー・エドワーズも、 もう待ちきれないという感じでステージで踊り始めた。 ディジー・ガレスピー作「ティン・ティン・デオ」でのフットワークのすさまじかったこと!  動きが早すぎて見えない。写真をとっても彼の足は線のように、クラゲの細い脚のように写ってばかり。彼のタップ音はまるでドラマーのよう。“オレはタップ・ミュージシャンなんだ”と彼が豪語する意味がとてもよくわかる。両足でインプロヴィゼーションしてしまうのだから。去年末、マッコイ・タイナー・オーケストラの来日公演にタップダンサーのセヴィアン・グローヴァーが同行したが、オマーは彼の弟分。セヴィアンひきいるNYOTs仕込みのダンスは、とにかくかっこいい。


ジェームス・カーター
そしてセカンド・セットで待望のジェームス・カーターが大フィーチャーされる。音のデカさ、アクションの激しさ、客をひきつける才能、どれも圧倒的というしかない。あらためて怪物ぶりを思い知らされた。ペイシェンス・ヒギンズとのテナー・バトル「レスター・リープス・イン」では、もうかなわないよという表情でヒギンズがカーターを見つめていた。
もっともこれはゲストであるカーターを引き立てるためのベテラン=ヒギンズの配慮かもしれないが。そしてワン・ホーンで“尊敬するコールマン・

コールマン・ホーキンス
ホーキンス
に捧げる”と前置きして「ボディ・アンド・ソウル」を延々と演奏。どのフレーズも、ヨダレがでるほどおいしい。
日本ではいまいち人気に結びつかないカーターだが、ホンカーやブラック・ミュージックのほうから彼に近づいたほうが、その魅力を体感できるのではないだろうか。なにしろカーターのプレイにはR&Bもブルースもヒップホップもジャンプ・ミュージックも内包されているのだ。「キャラヴァン」で聴かせたソプラノ・サックスもすさまじさの嵐。参りました、というしかない。

コテコテ者としてはもう、これは100回、200回と続けてもらうしかない。ハーレム・ナイツばんざい!!

1970年北海道生まれ。この5月、ジャズ批評誌編集長の座を辞し、ソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。おニャン子クラブ結成20周年、南野陽子デビュー20周年ということもあってか、80年代アイドルのブームが個人的にまきおこっている。さいきんの注目株は報道ステーションのお天気おねいさん、小林姉妹、松下奈緒、岩佐真悠子。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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