『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第19回 バリー・アルトシュル、バディ・テリー、ペリー・ロビンソン…
   あの名手たちがダウンタウンで息を吹き返したぜ

日本はどうしてこんなにニューヨークから遠いのだろう。教室の「席替え」みたいに、定期的に各国の位置が入れ替われば 、もっと世界はエキサイティングになるはずなのに。きょうも俺がフトンをかぶって寝ている間に、何千マイルも向こうでは アヴィシャイ・コーエントニー・マラビージェラルド・クリーヴァーティム・バーンが“聴いたことのないサウンド” を撒き散らしているかと思うと、聴覚皮質だけでもアチラに常備しておけたらとも思う。1日24時間とはいわない、 せめてイースタン・スタンダード・タイムの午後8時から深夜2時ぐらいまででいい、マンハッタンがそのまま僕の家の 横っちょに移動してきてくれないものかとも夢想する。そうしたら、「ザ・ストーン」の スティーヴ・コールマン月間 (コールマンが毎日、日替わりで演奏するという、驚きの企画。各セット10ドル、チップ&ミニマムなし!)に通いつめ、 脳細胞をすべてM-BASE菌で埋め尽くすことができるというものを。

「ザ・ストーン」(at the Corner of Avenue C and 2nd Street)には、相変わらずエアコンがない。だがプレイが始まると 寒さなど吹っ飛ぶ。演奏のグレードが尋常ではないからだ。外が氷点下でも関係ない。06年12月7日の出演は、ルーマニア出身の ピアニスト=ルシアン・バン を中心とする“ハイエログリフィクス”。しかし僕の焦点はドラマーの バリー・アルトシュル (本人に発音を尋ねたら、どちらかというとアルチュールに近い響きだった。uの音にアクセントがつく)に絞られる。 チック・コリアアンソニー・ブラクストンの“サークル”や、 ポール・ブレイのIAI盤 『ジャパン・スイート』に、えもいわれぬビートを刻み込んだあのバリー・アルトシュルが、ほぼ四半世紀ぶりに故郷ニューヨークで 燃えているのだから、これを見ない手はないのだ。70年代の、ヒゲ面の、ちょっとヒッピーぽかった風貌は、真っ白な長髪を束ねた 仙人のようになってしまったが、一度ドラムをたたき出すと、まさしくワン&オンリーのバリー・アルトシュル節。何ビートとも 形容しようがない、他の楽器と合っているのか合っていないのかわからないようなスティック・ワークが無性に気持ち良い。 曲はすべてルシアン・バンの書き下ろしだったが、これも僕には親しみがもてた。なぜなら70年代の マル・ウォルドロンのエンヤ盤や フリーダム盤やフュートラ盤を現代に蘇らせたかのような、ピアノの低音オスティナートが延々と繰り返される長尺ワン・コード・ナンバーが メインだったからだ。ルシアンが鍵盤をこねくるように同じフレーズを繰り返し、そこにアルトシュルの鋭い一打が突き刺さる。 トニー・マラビーに替わって参加したヴァイオリンの マーク・フェルドマンも美しい生音で巨大な存在感を示した。

バディ・テリー
バディ・テリー
レッド・ホロウェイヒューストン・パーソンと並ぶ60年代ソウル・ジャズ・サックス・ヒーローのひとり、 バディ・テリーもニューヨークに 帰ってきた。彼はフレディ・ローチラリー・ヤングレイ・チャールズなどと共演し、 アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズホレス・シルヴァー・クインテットに在籍したこともあるベテラン・テナーマン。 リーダー作もプレスティッジに『エレクトリック・ソウル』、『ナチュラル・ソウル、ナチュラル・ウーマン』、メインストリームに『アウェアネス』などがある。 それにしても“幻のソウル・テナー”が自分の目の前にいるのは妙な気分ではある。テリーは言う。“長年ヨーロッパに住んでいたけれど、 やっぱりNYの空気を忘れることができなくて、戻ってきたんだ”。今は音楽教師、ミュージシャンとして毎日がとても忙しい、と目を細める。 「ファット・キャット」(75 Christopher Street at 7th Avenue)におけるライヴは、教え子のサックス奏者である ポール・カーロン率いる ラージ・コンボとの共演。 そりゃあ外見こそメインストリーム盤の頃のような若獅子ぶりとは程遠く、それなりの年輪を感じさせる。けれど豊かなフレーズ、 ドッシリした音色は往時そのままだ。テリーがアドリブをとった後は、他のメンバーが縮んでみえる。格が違うのである。今度はぜひ彼自身の グループによる演奏も聴いてみたいものだ。ファースト・セットとセカンド・セットの間には、客席におかれた椅子の間を猫が忙しそうに 飛び回っていた(太ってはいなかったが)。

やはり久々にニューヨークの水を吸い、目が覚めるような活動を続けているのが ペリー・ロビンソンだ。06年6月には バートン・グリーンとの デュオ・ライヴがバワリー地区のカフェであり、僕も喜び勇んで出かけたのだが、ドアに“Cancelled”という紙が貼られていて、とても 残念だった。それだけに生ロビンソンを見たいという気持ちはマキシマムに高まっていたのである。ペリー・ロビンソンについて簡単に 説明すると、クラリネットをフリー・ジャズに導入したパイオニアということになるのだろうか。 チャーリー・ヘイデン 『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』 、カーラ・ブレイ『エスカレーター・オーヴァー・ザ・ヒル』などに参加し、ギュンター・ハンペルのユニット でも長く活動した。リーダー作も、「農夫アルファルファ」があまりにも有名な62年のサヴォイ盤 『ファンク・ダンプリング』を始め、それなりにある。そのロビンソンが、ディー・ポップ(ドラムス)の注目すべき“Radio I-Ching”プロジェクトに加わって「ザ・ストーン」に出たのだ。 元テレヴィジョントム・ヴァーレインも出るという告知だったので、 僕はそれも楽しみにしていたのだが、数日前に彼の出演はとりやめになった。しかしロビンソンの熱演がヴァーレインの不在をかき消した。 ところで、先にも書いた通り「ストーン」には冷暖房がない。つまり冬は極度に寒く、夏は暑い。だがロビンソンは素肌に、 釣り人がよく着るようなチョッキ(ポケットがいっぱいついている。しかも緑色)をはおっただけの姿で演奏する。 クラリネットを持つ腕が上下すると白くなったワキ毛が見えるのも、なんだかセクシーではないか。 艶のある太い音、ロココ状のフレーズ。こういうクラリネットなら、いつまでも聴いていたいと、つい遠い目をしてしまう私だ。 地響きを巻き起こすウィリアム・パーカー のベース、琵琶、ラップ・スティール、ソリッド・タイプのエレクトリック・ギターを使い分ける ダン・フィオリーノのプレイも見事だった。

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この夜、僕はアヴェニューCから7番街まで移動した。「ヴィレッジ・ヴァンガード」(178 7th Ave South)で “ポール・モチアン・トリオ2000+2”を 見るためだ。モチアンはいう。“ペリー・ロビンソン、奴はすごいマジシャンだよ”。“彼は手品が趣味なんですか?”と 僕がたずねると、“いや、そうじゃないんだ。ペリーは突然、私たちの前からいなくなって、数十年ぶりに姿を現した。しかも前以上に 素晴らしい音楽家としてね。こんなすごいマジックがあるかい?”。モチアンは アナット・フォート(ピアノ)のECM盤 『ロング・ストーリー』でロビンソンと共演したばかりなのだ。 “トリオ2000+2”はモチアン(ドラムス)、菊地雅章 (ピアノ)、クリス・ポッター(テナー・サックス)、 ラリー・グレナディア(ベース)、 告知ではここにグレッグ・オズビーが加わって 構成される予定だったのだが、替わりにマット・マネリが アンプリファイド・ヴィオラを弾いた。演奏はもちろん、いうことなし。モチアンの睨みがすみずみまで行き届いた音に接すると、 心が浄化されていくようだ。“ブチ切れ王子”ポッターも思索的に、ピアニッシモ〜ピアノぐらいの音で吹く。いつだったか「55バー」で アダム・ロジャース(ギター)、 ジョー・マーティン(ベース)、 ネイト・スミス(ドラムス)とのユニットで ポッターを見たときは、楽器が破裂するのではないかと思えるほどの大ブチ切れ大会だった。ポッターにとって、モチアン・バンドで演奏するとき の緊張感は他のバンドでは味わいえないものだろう。一音たりとも過剰なものを許さないのが蛸入道モチアンなのだ。

マイケル・ブレイク・トリオ
マイケル・ブレイク・トリオ
「55バー」(55 Christopher St. <Sixth/Seventh Avenue>)には、 マイケル・ブレイクが出演した。 そこそこの人は集まるだろうと思っていたら、開演30分前には立ち見が出るほどの混雑となった。 メンバーはクリーン・フィードというレーベルから2005年に出た 『Right Before Your Very Ears』 と同じく、ベン・アリソン(ベース)、 ジェフ・バラード(ドラムス)とのトリオ。 もちろんマイクなど、どこにも立っていない。生音勝負なのだ。何が出てくるのか、息を飲んで待っているとオープニングはなんと、 ドン・チェリーの名曲 「モプティ」ではないか! 無駄ひとつない動きで音をちりばめていくバラードのドラムス、図太い低音でメロディとリズムを接着する アリソンのベースに導かれ、ブレイクのイマジネーションは壊れた水道のように噴出し続ける。テナー・サックスとソプラノ・サックス の同時吹奏に、故トーマス・チェイピンのアルト&ソプラノ同時吹奏を思い出した。

ワンダ・ジャクソン(左)
ワンダ・ジャクソン(左)
ベテランの復活といえば、ロカビリー〜カントリー・シンガーの ワンダ・ジャクソンが 「ニッティング・ファクトリー」(74 Leonard Street)に出演したことにも驚いた。日本では「フジヤマ・ママ」がヒットし、 昭和34年に来日したときはスイング・ウエスト と共にライヴもおこなっている(斎藤チヤ子にも影響を与えた)。 そのワンダが、ネオネオ・ロカビリー・バンドの “The Lustre Kings”を従えて ロックンロール大会を冬のダウンタウンに響かせたのだ。もちろん50年代の声とはずいぶん変わってしまったが、友人 エルヴィス・プレスリーの思い出などを語り ながらのステージは、まさしくアメリカン・グラフィティの世界。ほんとうにひさしぶりに3コードのロックンロールを浴びるように味わった。

スラム・アレン
スラム・アレン
「ザ・ビター・エンド」(ドニー・ハサウェイカーティス・メイフィールドもライヴ盤を残している) の手前にある「テラ・ブルース」(149 Bleecker Street)では スラム・アレンジェームズ・コットンのバンド出身)の ソロを聴いた。ここは2部制をとっていて、7時の部は基本的に弾き語り、10時の部はバンド編成となっている。僕が行ったのは ノーチャージの弾き語りセット。ほとんど目をつぶりながら、ギターを抱きかかえるようにして、歌うアレンの気持ちよさそうな表情に、 こちらもついトロンとしてしまう。チャールズ・ブラウン のカヴァー「メリー・クリスマス・ベイビー」における、飾らない歌声が店を出てからも糸を引いた。

僕の初めてのジャズ以外の本、『清志郎を聴こうぜ!』(主婦と生活社)が12月22日に発売されました。 これまでにもいろんなところで触れてきましたが、忌野清志郎は僕にとって最大のヒーローで、1980年にRCサクセションの 「トランジスタ・ラジオ」を聴いて感動したことで今の自分が決定付けられたといっても過言ではありません。 約1年半かけて、どうにかこうにか、清志郎のほとんどのナンバー(複数のテイクがあるものは全ヴァージョン掲載) について書いたものが、ようやくまとまりました。700ページのドシドシ分厚い本です。ジャズ書ではありませんが、 数あるジャズ関連のサイトの中から、わざわざ僕のコーナーを訪れてくれているあなたのような柔軟で冒険心のある人であれば、 きっと楽しく読んでいただけるであろうことは保証いたします。『世界最高のジャズ』(光文社新書)も好評発売中です。 どちらも、どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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