『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第17回 幸運を呼ぶテナー・サックス、ラッキー・トンプソンの似合う季節がやってきたぜ |
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![]() ラッキー ・トンプソン・ミーツ ・オスカー・ペティフォード 寒くなるとカイロ代わりに聴き入ってしまう音。僕にとってその筆頭格はラッキー・トンプソンのテナー・サックスだ。凝りをそっとほぐしてくれるようなサウンド、鼻歌のごとき自然なフレーズづくり、気負ったところがまったくない“なで肩”の音楽。トンプソンの響きに浸ると、すべての毛穴がゆっくりと開き、大きく呼吸しているような気分になる。とくに1956年吹き込みのABCパラマウント録音には何度となく手が伸びる。 ![]() Lucky Start ラッキー・トンプソンは1940年代から50年代初頭にかけて、“スイングとバップのギャップに橋をかける”最大の売れっ子テナー・サックス奏者だった。ライオネル・ハンプトン、カウント・ベイシー、ビリー・エクスタインのオーケストラに在籍し、メイン・ソリストとしてプレイした。東海岸と西海岸をまたにかけて活躍、エスクァイア誌の人気投票にも入賞し、いわゆる“エスクァイア・オール・アメリカンズ”の一員としてレコーディングもしている。当時、ワーデル・グレイ、デクスター・ゴードン、スタン・ゲッツ以上の名声を博していたかもしれない。過日ジョニー・グリフィン、ベニー・ゴルソンにインタビューしたときも、“ラッキー・トンプソンは輝いていた。 ![]() アクセント・オン・テナー・サックス ![]() ウォーキン ![]() Lucky In Paris ◇ ◇ ◇ ![]() ラッキー・ストライクス この“帰米”は果たしてトンプソンにとって吉だったのかどうか。68年から70年にかけてはスイスのローザンヌで新しい生活を始めている。ここで僕はまたしても思う。なんでスイスなのか、と。ドイツにいればMPSあたりにゴキゲンにスインギーな作品を吹き込んでいた可能性だってあったし、ドン・バイアスやベン・ウェブスターとの共演レコーディングだって企画されていたかもしれない。どうしてスイスだったのだろう。スペインでテテ・モントリュー(モントリーウ)とEnsayo盤『ソウルズ・ナイト・アウト』を残したあと、72年(?)にはまたしてもアメリカに戻り、ダートマウス大学の音楽教授となる。この時期にグルーヴ・マーチャントに吹き込んだ『グッドバイ・イエスタデイ』、『アイ・オファー・ユー』が恐らくラスト・レコーディングだろう。 70年代後半以降、トンプソンの動向がほとんど伝えられることはなかった。ホームレスをしていたという説もある。たまたまトンプソンをみつけた旧友がカムバックをうながしたところ、強く拒否されたという話も伝わっているが真偽のほどはわからない。だが94年にシアトルの養護施設へ入り、2005年7月30日にそこで亡くなったことは確かなようだ。他界する6ヶ月前にはリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラのシアトル公演に、観客として招待されている。 ![]() Happy Days トンプソンの音源は近年、かなり復刻が進んでいる。40年代のSP録音もまとめられてきたし、ヨーロッパ吹き込みもけっこう入手可能。先に触れたABC盤も改めてフレッシュ・サウンドからCD化されたばかりだ。うたごころのある音楽は永遠に古びない。どうか、この“知られざるヒーロー”の至芸にふれて、体を暖めていただければと思う。 |
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『世界最高のジャズ』(光文社新書)、とくにジャズ入門者の方から暖かい反応をいただいております。ロックやポップス、歌謡曲などからジャズに興味を持ち始めた方にも喜んでいただけるようなガイドブックとして書いただけに、意図が伝わり嬉しい限りです。ジャズになじめば、他のジャンルの音楽も、より、くっきりと耳に入ってくるはずです。だが、僕としては、この本が『のだめカンタービレ』ぐらい読まれてほしい。ぜひ友人、知人の皆様との話題にも、この本のことを混ぜていただければと思います。12月、ジャズとはまったく別の新刊を出します。次回には詳しくお知らせできると思います。どうぞよろしくおねがいいたします
原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |