『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第16回 ジョー・ロヴァーノを知って18年、今ようやく彼の凄さがヒタヒタと心に迫ってきたぜ

アメリカにはフリー(支払額を自分で決める)・コンサートがものすごく多いようだ。そのなかでも最大規模のジャズ・イベントといわれるのがシカゴ・ジャズ・フェスティバルである。例年ジョージア州アトランタでおこなわれる、やはりフリーのジャズ祭も今年はドナルド・バードスタンリー・クラーク&ジョージ・デューク・プロジェクト+マーカス・ミラーなどが出演して大盛況だったようだが、“地ジャズ”をたっぷりフィーチャーすると同時に、日本では過小評価されている重鎮もたっぷり聴かせてくれる点でシカゴに並ぶものはないのではなかろうか。

第28回シカゴ・ジャズ・フェスティバルは8月31日から9月3日までおこなわれた。1日から3日までが“フリー”だ。テーマが“サルート・トゥ・ニューオリンズ”ということもあり、出演者にはニューオリンズ出身者が目立った。会場は“シカゴの山手線”と呼ばれる鉄道“ループ”の南東側にある、グラント・パークという巨大な公園。シカゴ美術館とミシガン湖の中間だ。正午から4時過ぎまで“ジャズ・オン・ジャクソン・ステージ”と“ジャズ&ヘリテイジ・ステージ”で複数のプログラムが同時に開催され、5時からはペトリロ野外音楽堂にメジャー級のミュージシャンが次から次へと登場する。ジャズ本の熱心な読者、もしくはジャズ史に精通している方なら、この、パタリロみたいな名前にピンと来るはずだ。ジェームズ・ペトリロはアメリカ音楽家連合の会長で、いわゆる1940年代の録音ストライキの黒幕だった。ペトリロが暗躍したせいでチャーリー・パーカーディジー・ガレスピーが参加していた時期のアール・ハインズ・オーケストラの録音は実現しなかった。だから僕は彼にいい印象を持っていない。だがアメリカ音楽業界においては、ペトリロは紛れもなく偉人なのであった。

会場内にはレコード店や食べ物屋の屋台がずらりと並ぶ。食べ物は現金で買うことができない。フェスティバル会場で売っているクーポン券を購入、それと引き換える形式になっている。クーポン券は11枚つづりで7ドル。1枚が50セントの価値を持つ。つまり7ドル払って5.5ドル分の食事チケットしかもらえないわけだ。一度クーポン券を買うごとに1.5ドルが自動的にフェスティバル側に支払われるシステムなのである。スターバックスは、なんと缶コーヒーを売っていた。9・11テロの翌々年だったか、僕はニューヨークで“アイスコーヒー”がメニューに載っているのを見て仰天したものだが、こんどは缶コーヒーか・・・。スタバが“缶しるこ”や“缶おでん”を売り出す日も、そう遠くはないような気がした。そういえばシカゴはマクドナルド(マクダーナルズと呼ぶ)の本拠地で、前回お伝えしたクラブ「ジャズ・ショウケース」の1ブロック北にはあまりにも巨大な「マクドナルド50周年記念店」が、テーマパークのようにそそり立っている。マクド・マニアは一度ここで食いまくり、スーパーサイズ・ミーな気分を味わうのもよいのではなかろうか。

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バンキー・グリーン
バンキー・グリーン

シカゴ・ジャズ・フェスティバルの中で僕が最も見たかったのはアルト・サックス奏者のバンキー・グリーンだ。今年の春、弟子のスティーヴ・コールマンのプロデュースで出したアルバム『アナザー・プレイス』(ラベル・ブルー)も良かったし、60年代のアーゴ/カデット盤も素晴らしいし、ようするに僕はバンキーの音が大好きなのだ。きくところによると、バンキーはもう十何年も観客の前で演奏しておらず(国際ジャズ教育家協会の会長として超多忙のため)、このシカゴ・ジャズ祭でのステージは本当に久々のライヴだったらしい。
僕は直前に用を足し、黙想し、万全の体制でバンキーの音を受け止めようとしたのだが…

ナシート・ウェイツ
ナシート・ウェイツ
内容はちょっと残念なものだった。これが本当に我が愛しのバンキーか、と思えるぐらい音はうわずり、フレーズもまとまりに欠き、バックを務めたジェイソン・モランの“バンドワゴン”(モランのピアノ、タラス・マティーンのエレクトリック・ベース、ナシート・ウェイツのドラムス、マーヴィン・シウェルのギター)との相性もちぐはぐに感じられた。モランとのデュオで演奏されたバンキーの名バラード「リトル・ガール・アイル・ミス・ユー」に唯一、芳香が漂ったが、期待が大きすぎただけ、肩透かしをくらってしまった。もう一度バンキーを絶対に生で聴きなおしたい。彼の底力はこんなものではないからだ。

ビリー・ハーパー
ビリー・ハーパー
そういう点ではビリー・ハーパー(テナー・サックス)も期待はずれだった。彼が参加したのは“トリビュート・トゥ・マラカイ・トンプソン・ウィズ・アフリカ・ブラス”というプログラム。アフリカ・ブラスとはトランペット奏者マラカイ・トンプソン率いるバンドの名前だが、フェスティバル出演が決定した直後に彼は白血病のため亡くなってしまった。ハーパーが登場したのは4曲目から。その時点でバンドの持ち時間は残り15分ほどしかなく、ハーパーは指揮者と進行係(出入り口で時計を持っている)を横目でみながら、こじんまりしたソロで、無難に出番をこなしたという印象。燃え上がるプレイこそビリー・ハーパーの醍醐味と感じている僕にとっては非常に歯がゆいステージであった。次はぜひ自分のバンドで、男気をスパークさせてほしいものだ。

リー・コニッツ
リー・コニッツ
また、来年80歳になるリー・コニッツ(シカゴ出身)がフェスティバルの“アーチスト・イン・レジデンス”を務め、シカゴ市から表彰された。コニッツは2日昼にワークショップを開催、高校生たちが巨匠のちょっとしたアドバイスで途端に“締まった”演奏になっていくあたりが実に興味深かった。そして夜にはジョー・ロヴァーノのバンドに乱入、「オール・ザ・シングス・ユー・アー」に基づく即興デュオをロヴァーノとともにおこなった。さらに3日にはニュー・ノネットを率いて、オムニトーンから発売された最新作『リー・コニッツ・ニュー・ノネット』からの曲を演奏した。なぜニュー・ノネットと名乗っているかというと、76年ごろ、“リー・コニッツ・ノネット”というバンドが発足しているからだ。旧ノネットはサイ・ジョンソン(チャールズ・ミンガスにアレンジを提供したことでも知られる)などが譜面を書き、アルバート・デイリー(ピアノ)、ジョー・チェンバース(ドラムス)なども在籍した、けっこう骨太のジャズ・バンドだった。しかしサックス奏者オハ・タルマー(スペルはOhadだが“d”は読まない。Madridをマドリーと言うのと同じか)がディレクションを務めた新ノネットが一直線にスイングすることはない。木管楽器が漂い続ける音の中を、コニッツがくねくねと浮遊していくのだ。コニッツの過去のアルバムで言えば50年代のヴァーヴ盤『アン・イメージ』(ビル・ルッソー編曲)にも通じる、室内楽的な音響である。せっかくタルマーやオスカー・ノリエーガ(アルト・サックス、バス・クラリネット)がいるのだから、もうちょっとソリストがバラけていれば、いっそう面白くなったのではないだろうか。

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リー・コニッツ、ジョー・ロヴァーノ(左から)
リー・コニッツ、ジョー・ロヴァーノ(左から)

だがライヴは、それまでそのアーティストに感じていたネガティヴな印象がポジティヴに変わる場でもある。とくにジョー・ロヴァーノには、すっかり参ってしまった。これまでほとんどいいと思っていなかったのに(ライヴは6、7回みた。チャーリー・ヘイデンリベレーション・ミュージック・オーケストラポール・モチアン・トリオ、ジョン・スコフィールド・カルテット、エディ・ヘンダーソン・クインテットなどを含む)、最新作『ストリームズ・オブ・エクスプレッション』で意中のミュージシャンとなり、このフェスティバルで魅力のダメ押しをされてしまったではないか。この日のロヴァーノはアドリブにすべての瞬間をこめていた。豊かな音色で、スリルいっぱいのフレーズを、堂々と、猛烈にスインギーに吹く。彼はジャズ馬鹿だ、テナー・サックス馬鹿だ。とことんブロウする、情熱の塊だ。こんな捨て身のプレイができる男だったとは。アメリカでの人気も、ミュージシャン間の尊敬も100パーセント納得できた。いつもこういう風に吹けば、ロヴァーノは世界中で人気者になるだろう。なかでも「ムーヴ」は最高だった。ゲイリー・スマリアン(バリトン・サックス)、スティーヴ・スレイグル(アルト・サックス)、ラルフ・ララーマ(テナー・サックス)らと猛烈なチェイスを繰り広げ、彼らが吹き飛ぶほどディープなブロウで上昇下降するロヴァーノ。ビ・バップはここに生きている! 60年以上前の曲、それもワーデル・グレイファッツ・ナヴァロの極め付けがあるナンバーを、過去の演奏家のフレーズに頼らず、こんなにかっこよく吹ききれるミュージシャンがどこにいるか、と考えると感動は更に増した。ただバリー・リースという、吹けていない(往年のベニー・ハリスみたいな)トランペッターを雇い続けているのは絶対に納得がいかない。ラッパがイモなアンサンブルなど、迫力半減だ。

ドナルド・ハリソン
ドナルド・ハリソン
もうひとつ意外な喜びを運んでくれたのがドナルド・ハリソン(アルト・サックス)の演奏だ。僕は何度も日本で彼のプレイを聴いているが、か細い音で、小難しい曲を、無愛想にこなす陰気な人というイメージしかなかった。だがシカゴのハリソンは明るいのだ。レパートリーはすべて現代版ファンキー・ジャズといいたくなるほど単純明快、MCではジョークを連発し、「ヌーヴォー・スイング」という曲ではソウル・シンガーのようにコクのあるヴォーカルを披露、ゴスペルとセカンド・ラインが融合したようなラスト・ナンバーではタンバリンを持って、ノリノリでダンスに興じる。いったい僕が日本で見た彼はなんだったのだろう。 こんなに笑顔の似合うひとだとは初めて知った。 甥のクリスチャン・スコット(トランペット)も実に威勢がよかった。 最近の僕は、ハリソンロヴァーノのCDを、改めて味わっている。

モリース・ブラウン コーリー・ウィルクス(左から)
モリース・ブラウン
コーリー・ウィルクス(左から)
エドワード・ウィルカーソンJr.
エドワード・ウィルカーソンJr.
ニコール・ミッチェル
ニコール・ミッチェル

ほかにもシカゴ・ジャズ・フェスには聴きものがいくつもあった。会場をパレードに変え たリバース・ブラス・バンド、オランダからやってきたミケル・ブラーム率いる“ビッグ・ベント・ブラーム”、モリース・ブラウンコーリー・ウィルクスのトランペット共演“クレッセント・シティ/ウィンディ・シティ・ジャム” 、シンガー・ソングライターの故オスカー・ブラウンJr.の愛娘たちが歌う“ア・トリビュート・トゥ・オスカー・ブラウンJr.フィーチャリング・マギー&アフリカ・ブラウン”、 クラリネット奏者マイケル・ホワイトが率いる“オリジナル・リバティ・ジャズ・バンド”のライヴに、 エドワード・ウィルカーソンJr.(テナー・サックス)、 ニコール・ミッチェル(フルート)、 ハリソン・バンクヘッド(ベース)、アヴリエール・ラー(ドラムス)からなる“フリークェンシー”のワークショップなどなど。

デイナ・ブラウン
デイナ・ブラウン
スティーヴ・ウィルソン、ウォルター・ブランディングJr.(左から)
スティーヴ・ウィルソン、
ウォルター・ブランディングJr.(左から)
ニーナ・フリーロン
ニーナ・フリーロン

ボビー・ブルーム等のバンドで注目急上昇のデイナ・ブラウン(ドラムス)のクインテットにはスティーヴ・ウィルソン(アルト・サックス)、 ウォルター・ブランディングJr.(テナー・サックス)が参加し、チャーリー・ハンター(8弦ギター)はフェンダー・ローズ、 ドラムスとの新トリオにレイ・アンダーソン (トロンボーン)を加えて熱演した。 ヴォーカルではフリーダ・リーニーナ・フリーロンも注目を集めた。二人とも声量はあるし、音域も広い。うまいことはわかる。だが僕にはトゥー・マッチといわざるをえない。 別にあんなに声を張り上げ、メロディを崩し、すきあらばシャバダバドゥリャーと唸ることはなくていいのに、と思うのだ。ビリー・ホリデイは一度もスキャットしなかったではないか。

『世界最高のジャズ』(光文社新書)、おかげさまで好評です。ジャズという素晴らしい音楽を、ひとりでも多くのひとに味わっていただきたいという願いをこめて、したためました。ロックやポップス、歌謡曲などからジャズに興味を持ち始めた方にも対応した、恐らく世界初のガイドブックでしょう。ジャズになじめば、他のジャンルの音楽も、より、くっきりと耳に入ってくるはずです。ぜひ友人、知人の皆様との話題にも、この本のことをそっと混ぜていただければと思います。どうぞよろしくおねがいいたします。 原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。

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