『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム!

原田和典のJAZZ徒然草
第14回 とっておきのソウル風土と素敵な音楽があれば他に何もいらないぜ
ハーレム・ナイツVol.5
ハーレム・ナイツVol.5

これがなくちゃ横浜の夏は来ない。ブラック・ミュージック好き待望のコンサート“ハーレム・ナイツ”、そのVol.5が今年も7月、ランドマーク・ホールで盛大に開かれた。日本で売り出される“マンハッタン”やら“ニューヨーク”と名のついたバンドやユニットは、実際のところニューヨーク本土ではまったくといっていいほど活動していないものが多い。ニューヨークだのマンハッタンだのというフレーズは、たいがいのばあい、極東の島国の音楽ファンを心地よく騙すためのツールとして利用されているということだ。

ロイ・ベネット
ロイ・ベネット


しかしこの「ハーレム・ナイツ」は違う。過去に登場したシュガー・ヒル・ジャズ・カルテットロニー・ヤングブラッドジミー・プリーチャー・ロビンズ等も含め、本当に「ショウマンズ」、「レノックス・ラウンジ」、「ミントンズ・プレイハウス」などハーレムのクラブにレギュラー出演し、客を沸かせている面々が、わざわざその仕事にサブスティテューションを入れて日本を訪れ、気合の入ったパフォーマンスを繰り広げる。ホンモノなのだ。

オマー・エドワーズ
オマー・エドワーズ
オープニングを飾るのはベースとヴォーカルのロイ・ベネットを中心としたステージ。彼はゴードン・エドワーズ率いる“スタッフ2”のヴォーカリストであるという。 ゴードンも“歌うベーシスト”だから(「ジス・ワンズ・フォー・ユー」という名曲がありましたね。邦題は確か「あこがれの君」)、
オマー・エドワーズ
オマー・エドワーズ
歌手の選択にはことのほか厳しい。そのゴードンのおめがねにかなっただけあって、いやー、パワフル&ストロング、そしてちょっと甘みのあるバラードをたっぷり聴かせてくれた。大きな体をすべて共鳴管にしたような声の響きには、もうひれ伏すしかない。

続いてはいまや「ハーレム・ナイツ」の顔といえるオマー・エドワーズが登場。昨年は歌も歌ったが、今年はタップに専念。この動きの速さ、機銃掃射のような足使いを見ると、ああ、今おれは「ハーレム・ナイツ」を見ているんだなあと、しみじみしてしまう。MCもわかりやすく、うまく、楽しい。来るたびに、彼と日本の距離は縮まっているに違いない。

アリソン・ウィリアムズ
アリソン・ウィリアムズ
第2部はほぼ、アリソン・ウィリアムズのショウと化した。資料によると彼女は1990年に久保田利伸とのデュオでNHK紅白歌合戦に出演しているらしい。 デフ・ジャム・レーベルにもいた(このへんのこと、実は僕は殆ど知らない。僕のR&Bの知識はスタックス、ハイで止まっているもので…)。
が、この日のステージはジャズ、R&B、ボサノヴァ、ポップス等を幅広くとりあげた内容。あ、知ってる知ってる、と声をあげたくなる曲ばかりだ。 伴奏のトニー・スティーヴンソン(ベース)、セローン(キーボード)、エズラ・ヘンリー(ドラムス)、 アブドゥル・ズーリ(ギター)らと、おそらく即興的なやりとりを交えながら、ぞんぶんにシャウトするアリソン。プロモーション写真より横幅は150パーセント増しだが、ビッグ・ママの歌声はパンチが利いていて気持ちいい。アンコールの「アイム・エヴリ・ウーマン」 (チャカ・カーンホイットニー・ヒューストンも歌った)では場内が盆踊り状態になった。また、「ウエスト・コースト・ブルース」を選曲していたのも興味を引いた。これはもちろんジャズ・ギターの巨匠、ウェス・モンゴメリーの代表的なオリジナルだ。後に歌詞がつけられ、マリーナ・ショウも歌っていたように記憶するが・・・。いずれはこの路線で、ファンキーなジャズ・アルバムを作ってほしいと思った。

トニー・スティーヴンソン
トニー・スティーヴンソン
セローン
セローン
アブドゥル・ズーリ
アブドゥル・ズーリ


さあここでマンハッタンのハーレムに高飛びしよう。(ジョン・ヘンドリックス風に)バイ・ユア・チケッツ・ゴー、ニューヨーク・ニューヨーク!
この夏、僕はここで2つのライヴを見た。ボビー・ハッチャーソンアンドリュー・ヒルの、それぞれ最新ユニットによる演奏だ。ふたりとも1960年代、ブルーノートで数多く創造しあった同志であり、できれば一緒にプレイしてほしかったところだが、ぜいたくはいうまい。

マンハッタン116丁目の駅を出て5分ほど歩くと、いきなり空き地から茶色の子猫が飛び出してきた。その猫に導かれるようにして、ただひたすら、大通りを進む。床屋の前で歌い踊る子供たち、建物の入り口の階段に座ってボーッとしている老人、ラジカセを持ちながら練り歩くおっさん(チャーリー・パーカーがストリングスと演奏した「ローラ」を大音量でかけていた)。デリにいけば、カットされたスイカとメロンが並んでおいてあり(ハービー・ハンコックのファンなら「ウォーターメロン・マン」と「カンタロープ・アイランド」を思い浮かべることだろう)、椅子に座ってソウルフードを食っていたらビリー・ホリデイレスター・ヤングの共演盤が店内に流れ、壁を見回すとルイ・アームストロングレイ・チャールズの写真が貼ってある。これでいい気分になるなといわれても無理だ。

ボビー・ハッチャーソン
ボビー・ハッチャーソン
ボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン)が演奏したのは135丁目にある「ショーンバーグ・センター・フォー・リサーチ・イン・ブラック・カルチャー」(515Malcolm X Boulevard)。ここはアフリカ系アメリカ人文化に関する資料をあつめた博物館で、展示フロアと図書室は入場無料なので僕はたびたび訪れている。この地下に「ラングストン・ヒューズ・オーディトリアム」という500人ほど収容できる小ホールがあり、ハッチャーソンはそこで演奏した(20ドル)。他のメンバーはリニー・ロスネス(ピアノ)、ドウェイン・バーノ(ベース)、ジャズ・ソーヤー(ドラムス)。ハッチャーソンのリーダー作はヴァーヴ盤『スカイライン』以来、もう6年も出ていない。それだけに、今の彼が自分のバンドでどこに向かっているのか、期待が高まる。

演奏曲は「ポンポニオ」、「アロング・ケイム・ベティ」、「オールド・デヴィル・ムーン」、「トレス・パラブラス」などだが、無伴奏のヴァイブ・ソロを聴かせた「アイ・ソート・アバウト・ユー」以外、すべてソロの順番が一緒。まずハッチャーソンがテーマを弾き、アドリブをとる。そして引き下がり、リニーのソロが過ぎてハッチャーソンが戻ってきて後テーマに戻るか、後テーマの前にベース・ソロや、ヴァイブやピアノとドラムスとの4バース(4小節交換)があるかの違いしかない。しかもそのソロは誰も彼も平板このうえなく、リニーなどは、どこかで聴いたようなフレーズをきらびやかに、曲のコード進行に沿ってちりばめていくだけに、僕には聴こえた。もし同じことをカラオケ採点機の前でおこなえば、曲からはずれずに、折り目ただしくやっているのだから高得点を得るに違いない。だが僕は、味も素っ気もない模範解答なんかに興味はない。なんだこれは、という燃え上がりのないジャズなんて…。親分も精気に欠けっぱなしだった。

そりゃあ確かに僕をハッチャーソンの魅力のとりこにした畢生の傑作『ハプニングス』や『ナウ!』や『ライヴ・アット・モントルー』からは30年以上も経っている。当時の燃え上がりを、老境に入った大家に期待するのは間違っていることもわかる。ひょっとしたら故ミルト・ジャクソンの後継者の座を狙っているのかもしれないが、ハッチャーソンが消化試合のように演奏するスタンダード・ナンバーには、ミルトのコクも潤いも感じられなかった。なぜそんなことをする必要があるのだ。ボビー・ハッチャーソンボビー・ハッチャーソンだから素晴らしいのに。

アンドリュー・ヒル
アンドリュー・ヒル
いっぽうアンドリュー・ヒル(ピアノ)が演奏したのは125丁目の「ステューディオ・ミュージアム・イン・ハーレム」(144 West 125th Street)。ここはアフリカ系アメリカ人の芸術作品を中心に展示するギャラリー(といっていいだろう)だが、その中庭のようなところに特設ステージが組まれた。事前の告知ではベース、ドラムスとのトリオで演奏する予定だったのに、当日、会場に行くとサックス奏者がいる。最近のヒルのお気に入りであるグレッグ・ターディが参加することになったのだ。グレッグが10年ほど前、グレゴリー・ターディという名前でインパルス・レーベルから出した初リーダー作は日本でもリリースされたことがある。当時のインパルスはやたら新譜制作に取り組んでいて、ほかにもテオドロス・エイヴリーエリック・リードブラック/ノートなどを次々と青田買いし、矢継ぎ早にリリースしていた。まあたしかに90年代半ばのジャズ界はジョシュア・レッドマンの商業的な成功にあやかろうとしたのか、一種の新人バブルだった。そしてどういうわけか、そうした大レーベル(ヴァーヴ、ブルーノート、米コロンビア、ワーナーなども含めて)が売り出した新人には、やけに“ものわかりのいい”ものが多く、フレッシュ・サウンド・ニュー・タレントが輩出するそれとは雲泥の差だった。

当時のグレゴリー・ターディは線の細さしか印象に残らなかったが、アンドリュー・ヒルに鍛えられ、彼の音楽表現に奉仕する今のグレッグ・ターディは違う。柔らかな音色で、ニュッと搾り出すようにフレーズを放出していくテナー・サックスも予想以上に楽しませてくれたが、クラリネットが殊に絶品。ここまで美しく、鮮烈に、現在形の楽器としてクラリネットを扱う逸材など、若手では他にクリス・スピードぐらいしか僕は思いつかない。ドン・バイロンデヴィッド・クラカウアーマーティ・アーリックダグ・ウィーゼルマンも、あまりにも果敢な活動を続けているので年齢やキャリアを忘れさせるところがあるが、実際のところ今やベテランだ。そう考えると、ますますターディに期待を寄せてしまうではないか。ヒルについてはもう、何もいうことはない。音色の美しさ、強烈なタッチ、魅力的な曲作り。「アイ・シュッド・ケア」のようなスタンダード・ナンバーも、ヒル独自の香気につつんでしまう。40年以上、これほどピュアに、自己のアートを磨き続けているアーティストがあと、どのくらいいるか。ターディもすごい緊張感の中で、ヒルに敬意を寄せて演奏しているのがわかる。ファンタスティックという言葉は、ヒルの音楽のためにあるのだろう。15ドルの前売り券で、その100倍は満たされた。ブルーノートから3度目の復帰となる最新作『タイム・ライン』も素晴らしかった(メンバー全員が、テレパシーのように通じ合っている)。2006年は、僕にとって、ある意味アンドリュー・ヒルの年である。

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コメカミの脈が興奮でドクドクする (ローリング・ズドーン)
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独特の臨場感溢れる文章に脱帽 (ELLA)
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原田和典(はらだ かずのり)
1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。
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