“Welcome To Nu Jazz!”
入り口でいきなり、受付のおねいさんに声をかけられる。新しいジャズを体じゅうで浴びてやろうという意欲が、俄然、増してくる。
ニューヨークきっての野外フリー・コンサート“セントラル・パーク・サマーステージ”が今年も盛大に幕をあけた。開催日は6月16日から30日までの2週間。去年の初日はウィリアム・キャルフーン、ファラオ・サンダースらが飾ったが、今年は以下に紹介する面々が“Nu Jazz Today”の名のもと、一同に会した。場内でもらえるプログラムには“第21シーズン目のセントラル・パーク・サマーステージは、冒険的ジャズの一夜から始まる”というキャッチ・フレーズが書いてある。
チャーリー・ハンター
最初に登場したのはチャーリー・ハンター(8弦ギター)とボビー・プレヴィット(ドラムス)のユニット、“グラウンドトゥルーサー”。故トム・コラとサム・ベネットがやっていた“サード・パースン”のように、ひとりゲストを加えて3人編成で演奏するのが彼らのスタイルだ。サースティ・イアーから出ていたアルバムではグレッグ・オズビーやDJロジックを迎えて、
ぐうの音もでないような強烈なサウンドを聴かせた“グラウンドトゥルーサー”だが、
エリオット・シャープ
この日はエリオット・シャープが第3の男として登場。
いきなりエフェクターをつなげたバス・クラリネットで素っ頓狂な音をふりまくシャープ。シェイヴド・ヘッドには早くも青筋がにじむ。ハンターもグッチョングッチョンに荒れ狂う。僕はハンターの最新作『コッパロポリス』が好きで、今年の春だったかにインタビューもやったのだが、最近の俺はすごいロックな気分なんだ、前よりもっとアグレッシヴだぜ、と答えてくれた通りの無法者8弦ギター野郎ぶりがエフェクターの軋みの中から鋭く立ち上がってきた。むろんプレヴィットのドラムスが生み出すコク、キレ、邪悪も冴える。もちろん彼の最新作『コーリション・オブ・ザ・ウィリング』も最高だった。いや、何十年も最高を持続しているのがプレヴィットなのだ。
ボビー・プレヴィット
多くの人はプレヴィットについて、80年代から90年代にかけての、あの、ジョン・ゾーンやビル・フリゼールやウェイン・ホーヴィッツやフレッド・フリスや・・・とのニューヨーク・ダウンタウン・シーンの顔役のひとりというイメージを持っていることだろう。ラテン・フォー・トラヴェラーズ、バンプといったこれまでのバンドもすさまじかった。
だが数ヶ月前、僕がメールで取材したとき、彼はこう書いてきた。“俺は2秒おきに新しく生まれ変わっているんだ。過去には興味がない”。
2秒おき、とは、「明日の記憶」も「博士の愛した数式」もびっくりしてしまう間隔の短さだが、目の前で一心不乱にドラムスを叩く(エレクトリック・パーカッションの扱いも見事)プレヴィットを見ると、その振り返らなさもまた、常に尖鋭的な音を生み続ける彼の原動力なんだと諭されているような気分になる。ハンターとプレヴィットという、乗りに乗っている俊才どうしだからこそ生まれるであろうマジックにすっかり酔わされてしまった。シャープはもちろんギターもタップリと披露。かねてからCDを聴くたびに彼のブルースは天下一品だと思っていたが、生で聴くと、フレーズを放つタイミング、あでやかな音色、人声のようなスライド・ギター、すべてパーフェクト、と唸るしかないのだ。
ところでこのセントラル・パーク・サマーステージは、基本的にフリー・コンサートである。基本的に、とわざわざ書いたのは、ボニー・レイットのような超大物(俺にはどこがいいのかわからぬが)がベネフィット・コンサートをおこなう時などは入場料に55ドルかかったりすることもあるからだ。もちろんこの場合のフリーは、タダと同義語ではない。入り口と出口には、いくつもドネイション・ボックスがおかれている。コンサートの内容に大満足したのであればいくら払ってもいいし、不満ならば1ドルすらペイする必要はない。つまりこの場合のフリーは“無料”ではなく、“何ドル払おうがあなたの自由”という意味を示すフリーなのだ。
アイヴィン・オールセットと
ニルス・ペッター・モルヴェル
次に登場したのはニルス・ペッター・モルヴェル(トランペット)。プログラムには彼が単独出演するかのように表記されていたが、もちろんアイヴィン・オールセット(ギター)、DJストレンジフルーツ(ターンテーブル)などを加えたレギュラー・グループによる演奏。日本では、モルヴェルの作品は、スラという自主レーベルから出しているもの以外のほとんどを国内盤で手に入れることができるが、NYでの彼に対する認識はまだそこまで達してないようだ(こんどサースティ・イアーから新作が出るらしいが)。“ノルウェーではヒップ・ホップやアンビエントの要素を取り入れたジャズがひとつの潮流となっており、これから演奏するニルス・ペッター・モルヴェルはそのなかの代表的なひとりとして注目されている。彼の音楽をぜひ体験してほしい”というようなことを、MCのお兄さんが念入りに話していた。持ち時間はわずか30分ほど。トランス状態に入る前に、演奏が終わってしまった感を抱いた。
ウキちゃん
このコンサートがおこなわれたラムゼイ・プレイフィールドは5番街の72丁目を西に行ったところにあるが、それを南に下りていくとセントラル・パーク・ズーという動物園がある。それほど規模が大きいわけではないが、大都会の真ん中に動物園があるのは、なかなか素敵だ。さあ、ウキちゃんは元気だろうか。僕にとってセントラル・パークとウキちゃんは同義語だ。
ウキちゃん
ウキちゃん…正しくはコットントップ・タマリンという。ジャッキー・マクリーンがブルーノート盤『キャプチン・スウィング』のジャケットで一緒に写っている猿を思い出すひともいるだろう。が、ウキちゃんは猿ではない。どこかの親子づれの、子供のほうが、ウキちゃんの速い動きに驚いて父親に“Dad,Look at the monkey!”みたいなことを言って騒いでいたが、そういうときにノット・モンキー、イッツ・タマリン・コールド・ウキちゃん、と説明してこそ真のダディーではなかろうか。
ウキちゃん
ウキちゃんの生息するスペースはガラスが入れ替えられたようで、昨年より一層くっきりとウキちゃんの速さをおがめるようになった。だがどうしたことだろう、去年は3匹いたウキちゃんが、どうみても2匹に減っているのだ。今日は1匹、休暇をとっているのか。とはいえ2匹でもウキちゃんの速さは相変わらず空前絶後。たまに、枝の上で一瞬だけ休むことがあるのだが、これがまた、苦みばしっていていい。一瞬ファラオ・サンダースを思わせるウキちゃんの憂いに満ちた表情をみると、ああセントラル・パークに来たんだなあ、と、より強く実感できるのだ。
スティーヴン・
バーンステイン
コンサートに話を戻す。静から動へ。セックス・モブの登場だ。いやはや、凄い人気である。後部座席に座っていた客が、ワーッと前に押し寄せる。リーダー格のスティーヴン・バーンステインはモブのほかにもミレニアム・テリトリー・オーケストラやスパニッシュ・フライを率いる超売れっ子。おそらくデイヴ・ダグラスと並ぶ現代屈指のトランペット・ヒーローに違いない。モブにおけるバーンステインはスライド・トランペット(トロンボーンを小型にしたような形状)を吹く。2本のマイクを立て、そのうち1本はエフェクターに直結。思いっきり大きなアクションでステージを動き回るバーンステイン、帽子と真っ赤なシャツが似合う。
アルト・サックスのブリガン・クラウスも絶好調。モブ以外のバンドで聴くと、CDにせよライヴにせよ妙にギラギラしすぎるところがあって気になったものだが、そのギラギラ感がこのバンドにはピッタリ来るのだから面白い。
ブリガン・クラウス
胴体の薄いウッド・ベースを、ロカビリーでもやるかのように振り回すトニー・シェア、ケニー・ウォルセンにかわってドラムスを担当したグラント・カルヴィン・ウェストンもズシリとしたリズムを送り出す。演奏曲はデューク・エリントン楽団でおなじみ「ブラック・アンド・タン・ファンタスィ」、カウント・ベイシー楽団の名バラード「ブルー・アンド・センチメンタル」など。これを実にねちっこく、それでいて派手にやりつくす。最後にはハンター、シャープ、プレヴィットも乱入してバッファロー・スプリングフィールドの「フォー・ホワット・イッツ・ワース」を場内大合唱と共にぶちかました。
トニー・シェアー
この時期のニューヨークはレコード・ショップでのインストア・ライヴも連日のようにおこなわれている。いくつかの店ではヒルトン・ルイース(ピアノ)がCD発売記念イベントをすることになっていた。が、彼はニューヨークに戻ることなく、滞在先のニューオリンズで大怪我の末に亡くなってしまった。
ワールド・トレード・センター跡に程近い「J&Rミュージック・マート」のジャズ・フロアに出演したのは、ジェリ・アレン(ピアノ)、ケニー・デイヴィス(ベース)、アンドリュー・シリル(ドラムス)のトリオ。今年、ジェリはメアリー・ルー・ウィリアムス(ピアノ)が60年前に作曲した「ゾディアク組曲」を新たに解釈した『ザ・メアリー・ルー・ウィリアムス・コレクティヴ:ゾディアク・スイート・リヴィジテッド』というアルバムを発表した。その記念ライヴなのだ。かつて映画「カンザス・シティ」でメアリー役を演じたことのあるジェリにとって、メアリーの曲を演奏することは一種のライフワークであるらしい。ジェリのピアノは相変わらず美しい音色、鋭いフレーズだったが、僕はどうしてもスティーヴ・コールマンやポール・モウティアンと演奏していた頃の毒気を彼女に求めたくなる。
セックス・モブ
15年も20年も前のプレイで今のジェリを判断してはいけないとは思いつつも・・・・。それはさておきアンドリュー・シリル本人がステージ上で語っていたところによると、
彼がプロになって参加した殆ど最初のグループがメアリーのトリオだったという。1950年代後半、彼がジュリアード音楽院に在籍していたときに声がかかり、ジョージ・タッカー(ベース)と共にメアリーをサポートしたのだそう。この音源は存在するものだろうか。聴いてみたい。それにシリルとタッカーといえば、ウォルト・ディッカーソン畢生の名盤『トゥ・マイ・クイーン』のメンバーではないか。ウォルト・ディッカーソン、今も元気なのだろうか。あのスピリチュアルなヴィブラフォンを生で聴けたら…
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