『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第12回 知られざる名手、エディ・バートは奥深いトロンボーン職人だぜ |
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トロンボーンが好きだ。クレージーキャッツの谷啓や、欽ちゃんバンドの佐藤B作(ヴァルヴ・トロンボーンだった)の影響かもしれない。何年に一度だったか、秋になると「楽器フェア」という催しが横浜でおこなわれる。各楽器メーカーが、自社の製品を展示し、場合によっては試奏させてくれるのである。僕はそこで初めてトロンボーンを持って、音を出してみた。マウスピースを唇にあててブオーと音を出したときの快感といったら、なかった。そしてスライドを動かして、つかのまのトロンボニスト気分を味わった。朝顔を肩の手前に置き、マウスピースに左手の人差し指をそえて、右手でスライドを伸び縮みさせる。それを同時に実行することは、思いのほか難しい。体のバランスがすぐ崩れてしまうのだ。トロンボーン奏者ってすごいなあ、と改めて思えてくる。 ![]() カーティス・フラー /ブルースエット ![]() カイ・ウィンディングと J.J.ジョンソン / バードランドのJ&K 21世紀に入ってもトロンボーン片手にセッションに明け暮れる彼だが、リーダー作はそれほど多くない。しかもそのほとんどは50年代中期までに集中している。アメリカでジャズのレコードが10インチ(25センチ)から12インチ(30センチ)に切り替わり始めたのは1955〜56年ごろだ。この時期にバートは『ウィズ・ハンク・ジョーンズ・トリオ(ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー)』(サヴォイ)、『アンコール』(同)、『レッツ・ディグ・バート』(トランス・ワールド)を筆頭に6〜7枚を連発している。カーティス・フラーがまだ軍隊にいた時代、J・J・ジョンソンにしても12インチ盤のリリースなど、10インチ音源をまとめた『ジ・エミネントVol・1、Vol・2』(ブルーノート)ぐらいしか出ていなかった頃だ。その時期にこれだけリリースしているのだから、いかにアメリカのジャズ・レコード業界がバートを高く評価していたかがわかる。しかも『ウィズ・ハンク・ジョーンズ・トリオ(ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー)』では曲によって楽器をオーヴァー・ダビングして、ひとりトロンボーン・アンサンブルも聴かせている(ルディ・ヴァン・ゲルダーが手がけた最初の多重録音かもしれない)。ちなみにこの副題は、彼がメトロノーム誌で“この年を代表するミュージシャン”に選ばれたことを示す。少なくとも50年代の一時期、ニューヨークのジャズ・トロンボーン界はバートを中心にまわっていた。 ![]() EDDIE BERT / KALEIDOSCOPE 『カレイドスコープ』には加えて、バート秘蔵の音源が入っている。1955年、やはりデューク・ジョーダンを相棒に迎えたライヴだ(ニュージャージー州のクラブ「ゴブラーズ・イン」にて。CDではカルテットのように表記されているが、ヴィニー・ディーンらしきアルト・サックスが加わったクインテットで演奏されている)。演目はタイトル曲「カレイドスコープ」。18分に及ぶ、ジャム・セッション感覚モロだしのプレイが楽しめる。先に触れたように、この時期のバートの録音は多い。だがこれほど奔放に、トロンボーンをうたわせる姿はついぞ聴くことができなかった。バートが生き生きしたアドリブ・プレイヤーであることがよくわかる、実にうれしいライヴ・パフォーマンスである。 最後にバートの主な参加作を付記しておく。 ![]() チャールズ・ミンガス / Mingus at the Bohemia ●デューク・ジョーダン『トリオ&クインテット』(シグナル) ●ギル・メレ『パターンズ・イン・ジャズ』(ブルーノート) ●ミシェル・ルグラン『ルグラン・ジャズ』(米コロンビア) ●セロニアス・モンク『アット・タウン・ホール』(リヴァーサイド) ●サド・ジョーンズ=メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ『セントラル・パーク・ノース』(ソリッド・ステート) ●サル・サルヴァドール『スター・フィンガーズ』(ビー・ハイヴ) ●ベニー・カーター『セントラル・シティ・スケッチズ』(ミュージック・マスターズ) ●ガンサー・シュラー『エピタフ』(米コロンビア) ●T・S・モンク『モンク・オン・モンク』(N2K)などなど。 |
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犬吠埼に行ってきた。房総の海は厳しい。海水浴場のような、親しげなそぶりは見せない。波が岩にくだけちり、ゴーウゴーウと鳴り続ける。その音が朝も夜もしんしんと響いてくる。自然のこわさ、海の恐ろしさを全開にして、こちらに立ち向かってくる。少しも寄り添おうとしないのだ。そこがいい。加山とサザンとチューブの流れる、ふにゃけた海だけが日本の海ではない。挑む海が観たけりゃ、犬吠埼のしぶきを浴びるが良い。
原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |