『世界最高のジャズ』の著者でもある原田和典さんによるJAZZへの熱い想いを語ったコラム! |
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第11回 王様のブランチよりジャズ・ブランチの似合う季節がやってきたぜ |
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僕がブランチという言葉を知ったのは東京に来てからだ。北海道にはそんな洒落たものはなかった(今は知らないが)。「王様のブランチ」というテレビ番組で、ブランチというものの存在を覚えた。この番組には優香が出ている。優香といえば個人的には水着姿が印象深い。90年代の半ばには、毎週のようにマンガ雑誌やアイドル雑誌のグラビアで優香の水着が拝め、僕を駆り立たせてくれた。だけど今の若いひとは優香が素晴らしい水着タレントだったなんて知らないんだろうなあ。ブランチとはbreakfastとlunchの合成語。朝と昼兼用のメシを、チンタラ食う。これがなかなか、気持ちいい。 ![]() ウォーレン・ヴァシェーイ ![]() ボブ・キンドレッド 「アイ・キャント・ユー・エニシング・バット・ラヴ」から始まったライヴは、意外なところではソニー・ロリンズ作「プレイイン・イン・ザ・ヤード」もはさみ、ひたすら流麗に進んだ。ゲストのウォーレンはスカスカした音で吹いていたが、これはもう彼のスタイルであろう。70年代、スコット・ハミルトンと組んでコンコード・レコードで録音していた頃から変わらない芸風だ。僕はウォーレンにボビー・ハケットやルビー・ブラフの後継者的印象を抱いていたこともあるが、どうもそれはピントのずれた見方だったようだ。ピー・ウィー・アーウィンの弟子だというし、ディキシーランド・ジャズを心に持ったリリカル系ラッパ吹きなのかもしれない。もっとも、ルックスは70年代とは驚くほど変わった。眉毛にかかるほどあった前髪はすっかりなくなり、横幅が倍になったので別人のよう、コルネットがほんとうに小さく見える。 ![]() スティーヴ・コールマン 質問:“誰から影響を受けましたか” コールマン:“特定の人物から影響を受けたことはないが、生まれてから今に至るまでのすべてのものから影響を受けているともいえる” 質問:“オーネット・コールマンについてどう思いますか” コールマン:“彼と私の共通点は、同じ苗字で同じ楽器を演奏していることだけだ” 質問:“エリック・ドルフィーについては?” コールマン:“あまり聴いたことがない。僕が真剣に聴いたサックス奏者はチャーリー・パーカー、メイシオ・パーカー、ヴォン・フリーマンだ” 質問:“M-BASEとはなんですか” コールマン:“ビ・バップのコンセプトとファンクのリズムの融合” 最後の回答は僕にとっても非常に面白かった。というのはコールマンはこれまで何度もインタビューやウェブサイト上でM-BASEについて長大な(難解な)説明を繰り返していたからだ。だがこの日のコールマンは単純明快に、この質問に答えていた。長く答えたところで通じないのではないかと思ったのかもしれないが・・・。 この日、コールマンの助手をつとめたのはタイシャン・ソーリーとマーカス・ギルモア。ふたりともドラマーだが、ドラムスは1台しかないのでタイシャンはピアノを弾いたり(彼は去年のヴィジョン・フェスティバルでソロ・ピアノ・パフォーマンスをおこなうほど優れたピアニストでもある)、イスをたたいたりした。そしてコールマンは最後に、ドラムスとイスのパーカッション・アンサンブルをバックに「コンセプション」を演奏した。別名「ディセプション」。ジョージ・シアリングが作曲し、マイルス・デイヴィスやバド・パウエルも演奏したナンバーだ。くねるようなリズムにのせて、コールマンがこの曲を吹き、アドリブを展開していくと、あっという間にビ・バップがM-BASE化していく。この講義はコールマンがNYにいるときは、毎週月曜日に必ずおこなわれている。最後の頃には英語力の足りなさを忘れ、何度でもコールマン先生のレクチャーを受けたいと思った。 ![]() ボビー・カルカセース 「ジャズ・ギャラリー」ではボビー・カルカセースのライヴも見た。キューバでジャズ・プラーサというフェスティバルを主催している、同国を代表する芸術家だ。僕はかつて勤めていた雑誌でラテン・ジャズ特集をしたとき、彼にお世話になった。が一度も面会したことがないので、会いに行ったのだ。息子のキーボード奏者=ロベルト・カルカセースは昨年、ジューサのグループの一員として「ブルーノート東京」に出演したが、パパ・ボビーはまだ日本に来たことがない。フリューゲルホーンを吹き、ピアノを弾き、スキャットで歌い、最後には“ジャズ・ギャラリーという店名にふさわしく、僕も絵を描きます”といい、小さなキャンバスに即興でペインティングを始めた。とにかく多彩なのである。サポート・メンバーのうちダフニス・プリエト(ドラムス)、ジョン・ベニーテス(ベース)は故レイ・バレートのバンド・メンバーで、セッションは自然にバレート追悼的なものにもなった。 ![]() ボビー・サナーブリア ![]() ボビー・サナーブリア・ オーケストラ 「マンボ・イン」をやる前にはマリオ・バウサーについて語り、ピアニストをフィーチャーするときはノロ・モラーレス、チャーリー&エディのパルミエーリ兄弟などについてもコメントする。あまりにもしゃべるので、“マエストロ、もうわかったから演奏を始めてくれよ”なんて声もかかるほどだった。だが演奏はさすがに素晴らしかった。伝説の詩人=ミゲル・ピニェロが愛した店は、今もアベニューCの深夜をラテンに染めあげているのだ。 |
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武満徹展“Visions in Time”を初台の東京オペラシティで見た帰り、足を伸ばして笹塚へ行く。僕が90年代のはじめに住んでいたところだ。風呂なしの4畳半で家賃は4万円だった。ゴウツクな大家だった。「敷金」というのは差し上げるものだということを教わった。10数年ぶりにそのアパートを見に行くと、跡形はきれいさっぱりなくなっていて、新しいマンションが建っていた。角にあった弁当屋も消え、銭湯は駐車場になっていた。時は確かに移り変わっている。
原田和典(はらだ かずのり) 1970年北海道生まれ。ジャズ誌編集長を経て、2005年夏よりソロ活動開始。ジャズ、ブルース、ファンク、ロック、アイドル、突然段ボール、肉球、なんでも好き。 |